
noteの記事がバズり、注目の文筆家としてデビューしたセネガル人ハーフの文筆家、伊藤亜和氏。20代後半の彼女はもともと流行を追いかけるタイプではなかったものの、30歳が近づくにつれて流行が「頑張っても追えない」ものに変わってきたのだという。若者から大人へと差し掛かる30歳前後の頃、流行りモノに対してどんな感情の変化があったか、読者は覚えているだろうか。※本稿は、伊藤亜和『わたしの言ってること、わかりますか。』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
アラサーになって
流行を追えなくなった
最近、話題の種はTikTokから生まれることが多い。昭和の子供たちの話題がもっぱらドリフのコント番組だったように、平成のオタクがニコニコの動画についてばかり話していたように、私が働くバイト先の学生たちはTikTokの話ばかりしている。
私はというと、いまだTikTokを始めるに至っていない。アプリをインストールするところまではいったのだが、開いた瞬間ノンストップで流れ始めた無数の映像に混乱し、画面を縦に動かすのか横に動かすのかもわからないまま早々にギブアップしてしまった。まるで巨大な洗濯機のようだ。映像の濁流のなかから命からがら逃げ出した私は、ぐったりと天井を見上げながら「もう流行りを追うのは無理かもしれない」と思った。
もともと流行に敏感なタイプではなかったし、流行を追おうと思うタイプではなかった。それでも20代前半くらいまでは私も「私が最先端のカルチャーでござい」という顔で街を颯爽と歩いていた。「年寄り笑うないずれ行く道」とは自分に言い聞かせながらも、ふとしたときには「こんなこともわからないのか」と、からかいたい気持ちになることもあった。