しかし、30代に近づいてくると私にとって流行は「追いたくないもの」から「がんばっても追えないもの」に変化し始めたのだった。昔は自分の意思で選ばなかったものに、選ばれなくなっていく。すこし気に入った後輩男子にちょっかいを出してみたら、真顔できっぱりと「やめてください」と言われたかのような気恥ずかしさがある。そうなってくると、己の情けなさをなんとかごまかしたくなって、苦し紛れに「なにマジになっちゃってんのさ」と言いたくもなるだろう。

 私はTikTokデビューに失敗したショックをなんとかごまかしたくなって「こんなのべつに面白くもなんともない。こんなの見てたら頭が悪くなっちゃう」と自分に言い聞かせた。まさに酸っぱい葡萄。

TikTokなんか見てたら
頭が悪くなるに決まってる!?

 ちいさい頃、ゲームをやっていたら親戚に「ゲーム脳になるぞ」と言われた。結局ゲーム脳ってなんだったんだ。ゲーム脳になったからどうなるというのだろう。調べてみると、ゲームによって前頭前野の働きが低下してキレやすくなったり、集中力がなくなったりする状態がゲーム脳というらしいのだけれど、ゲーム脳になるぞと脅してきた大人のうち、いったい何人がそこまで知識を持って警告していたのだろうか。

 おそらく結構な割合で「とにかく頭がおかしくなる」ぐらいの感覚でゲーム脳という言葉を使っていたに違いない。私もTikTokについてよく知らないが「TikTokを見ていると頭が悪くなるに決まってる」と漠然と思っているのだ。

 自分がよく理解できていないものに対して、攻撃的な姿勢をとってしまうのは人の本能なのかもしれない。それはわかる。原始の時代では警戒心もなく怪しいキノコを食べて死ぬこともあっただろうし、誰にでも丸腰で近づいていたら殺されていたのだろう。

 しかし、今でもそういうことがないというわけではないにしても、世界のなかでも比較的情報にあふれ平和と言われているこの国では、そんなことは滅多に起きない。現代社会において、毒キノコに代わるのは流行である。