この背景には、「人はそれぞれ違う才能を持っている」という教育文化が徹底していることが挙げられます。スポーツ、芸術、学問と、子どもたちが輝ける分野は幅広く用意されています。運動が得意な子は、スポーツデイでヒーローになる。歌や演技が得意な子は、学芸会で主役を演じる……。
つまり、誰もが全ての分野で平均点以上である必要はないのです。得意なこともあれば、苦手なことがあってもいい。運動が苦手でも、他の分野で輝ける場所が必ず用意されているので、子どもは何かひとつができなくても強い劣等感を持つことはありません。
「みんな違って、みんないい」。この言葉が、単なるスローガンではなく、教育システム全体で具現化されています。
「みんな一緒」教育から
わが子を解放するには?
日本の「みんな一緒」教育は、高度経済成長を支えた均質な人材を育む上では、非常に効果的なシステムでした。しかし、グローバル化が進み、多様な価値観が交錯する現代において、もはやその考えは通用しないでしょう。
新しい時代の教育スタイルに目を向けるべきだと私自身が強い関心を抱いたのは、1999年のことでした。当時から日本の画一的な教育に違和感を覚えていた私は、多様性を重んじるアメリカの保育に強く惹かれ、渡米を決意しました。今回のイギリスでの体験は、その時の問題意識が、今なお日本の教育現場に根強く残っていることを再確認させるものでした。
日本の運動会が持つ、団結の精神も素晴らしい文化です。しかし、未来を生き抜く子どもたちに必要なのは、自分の「得意」で輝ける自信ではないでしょうか。そのためには、私たち親の価値観も変わる必要があります。わが子の「苦手」を嘆くのではなく、「得意」を見つけて全力で応援してあげる――。
日本の教育がひとりひとりの多様な才能を認め、心から祝福できるものになった時、世界で通用する本物の「個の力」が生まれてくると確信しています。
