自由すぎて見失ったもの

そこで、とりあえず毎日好きなゲームをしてみたものの、徐々に首が痛くなってきた。だから次に、暇つぶしの手段を麻雀に求めた。大学時代以来の雀荘通いをしてみたんだ。

しかし、平日の昼間に雀荘に集まるのはどうしても、定年を迎えたおじいちゃんが多い。「仕事もせずに雀荘に通う38歳のおっさん」なんて、ほかにいなかった。

結局、FIRE後の自由過ぎる生活には、すぐに飽きてしまった。しかも、時間を持て余しているものだから、必要以上に株式相場をのぞいてしまう。そうして「あっ、この株いいかも」と思い、それまでやったことのなかったデイトレードに手を出すこともあった。

慣れないことをすると、案の定、儲からない。「こんなことをしているくらいだったら、働いたほうがいいな」という結論に達するまでには、半年もかからなかった

娘の言葉がくれた「働く理由」

君たちが覚えているかどうかわからないけれど、たしか小学生のときに「『お父さんって、なにをしている人なの』って友だちから聞かれた」といったことがあった。

そう聞かされて僕自身、「自分はなにをしている人なんだろう」と考えさせられた。もう一度、麻酔科医として働くことで、「父さんはお医者さんとしてしっかり働いている」と胸を張っていえるとも思ったんだ

新たな挑戦と「視点の違い」という壁

ちょうどそのころ、知人から「病院を立ち上げるので、副院長になってほしい」というオファーを受けていた。面白そうだし、渡りに船だと思って、その話を受けた。しかし、実際にやってみると、思わぬ現実が立ちはだかった。

僕は株式投資をしていたこともあり、どうしても経営者目線で物事を考えてしまう。一方、院長はとことん技術者目線だった。この視点の違いが融合することはなく、意見が対立してしまった。それで結局、副院長の職を退くことにしたんだ。

どちらかが明らかに間違っているのであれば、話し合い、理解し合う選択肢があったかもしれない。けれど、視点の違いからくる意見の違いは、どうにも交わることはなかった。

※本稿は『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。