人類の歴史は、地球規模の支配を築いた壮大な成功の物語のようにも見える。しかし、その成功の裏で、ホモ・サピエンスはずっと「借りものの時間」を生きてきた。何千年も続いた栄光は、今や終わりが近づいている。なぜそうなったのか? 『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』は、人類の繁栄の歴史を振り返りながら、絶滅の可能性、その理由と運命を避けるための希望についても語っている。竹内薫氏(サイエンス作家)「深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、著者の筆致がユーモアとウィットに富んでおり、痛快な読後感になっている。魔法のような一冊だ」など、日本と世界の第一人者から推薦されている。本書の内容の一部を特別に公開する。
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人類は絶滅寸前だった
およそ九十三万年前から八十一万三千年前までのあいだ、実に十万年以上にわたって人類は絶滅寸前の状態にあったとされている。この期間中、地球上のすべての繁殖可能な人類を合わせても、その数は常に一二八〇人を超えることがなかった。
もし現代の自然保護活動家がその時代にタイムスリップしていたら、「この種は絶滅危惧種だ」と判断し、レッドリストに載せていたに違いない。
いま地球には、かつてないほど多くの人間が暮らしている。それでも、初期の人口の少なさは、いまなお私たちの遺伝子に痕跡を残している。見た目の違いはさまざまあっても、私たちの中身は驚くほど似通っている。
遺伝的な多様性と人類
実際、アフリカのあるチンパンジーの群れのほうが、全人類よりもはるかに遺伝的に多様だ。これは、ホモ・サピエンスが過去のどこかの時点で――たぶん一度ではなく何度も――絶滅をかろうじて逃れた、ほんの小さな創始集団から拡がっていったことを示している。
ホモ・エレクトスとその子孫はユーラシアの各地に広がり、進化を遂げていったが、ヒト属はアフリカでも進化を続けていた。私たちの種――ホモ・サピエンス――がアフリカで誕生したのは、およそ三十一万五千年前のことだ。
「破壊」への欲望を持つ存在
ちょうど同じころ、ヨーロッパではネアンデルタール人が姿を現し始めていた。その当時のホモ・サピエンスは、まだ“素材”のような存在であり、経験によってふるいにかけられる必要があった。
アフリカを離れようとした試みも何度かあったが、すべて失敗に終わっている。本格的な脱出に成功したのは、約十万年前のことだった。それまでのあいだ、ホモ・サピエンスはアフリカの中でいくつもの小さな集団に分かれたり、再び合流したりを繰り返していた。
そしてその過程で、集団どうしの交雑も起こり、現代の私たちが「人間」として認識できるような存在が形づくられていった。自己を意識し、そして破壊への欲望を持つ存在である。
多様性にとぼしい私たち
しかし、ホモ・サピエンスという種が生まれること自体、じつはかなり危うかった。
その歴史の大半において、ホモ・サピエンスはアフリカに閉じ込められていた。ヨーロッパと西アジアを支配していたのは、いとこにあたるネアンデルタール人だったからだ。その間にも地球の気候は冷え込み、乾燥が進み、ホモ・サピエンスは絶滅寸前にまで追い込まれていく。
それでも、最後に残ったわずかな集団がなんとか生き延びた。とはいえ、その“消えかけた経験”は遺伝子に確かな痕跡を残している。
現在のすべての人類は、この小さな生き残り集団の子孫にあたるため、遺伝的に利用できる資源は限られている。たとえば新たな病気への対応といった課題に直面したとき、そこに立ち向かうための多様性が、決して十分とは言えないのだ。
そして、大絶滅がはじまる
およそ十万年前を境に、ホモ・サピエンスはついにアフリカを抜け出すことに成功する。
今度の移動は、かつてないほどの大成功だった。六万年以上前にはオーストラリアに到達し、四万五千年前にはヨーロッパへ進出。ホモ・サピエンスが足を踏み入れた場所では、たいていの場合、そのあとに破壊が続いた。
ほかのどのホミニン種とも違って、ホモ・サピエンスは自分たちに都合よく環境そのものを変え始めた。その結果、大型の動物たちは姿を消していった。中型犬より大きな動物のほとんどが絶滅したのである。
驚異的な拡散
遅くとも二万五千年前までには、ホモ・サピエンスは主要な大陸すべてに拡がっていた。残されていたのは、ニュージーランド、マダガスカル、遠く離れた海洋の島々、そして南極だけだったが、これらでさえいずれ人類の手が及ぶことになる。
地質学的な時間スケールで見れば、ホモ・サピエンスの拡散は驚異的な速さだった。ホミニン全体の歴史と比べても、急激すぎる変化だったと言える。
その侵略ぶりは、地球にとどまらない。月にまで及び、テクノロジーの触手を通じて太陽系全体をも覆い始めている。
ホモ・サピエンスが発したラジオやテレビの電波は、すでに一〇〇光年以上も彼方の銀河へ広がっており、その範囲には数千もの恒星が含まれている。
終わりの始まり
ホモ・サピエンスは地球上の大型動物の多くを絶滅させたのに加えて、ほかのすべての人類種も絶滅へと追いやった。
ヨーロッパとアジアで二十五万年以上にわたり支配的だったネアンデルタール人も、約四万五千年前にホモ・サピエンスがヨーロッパに進出してくると、その勢いの前に崩れ落ちた。
長らくホモ・サピエンスに抗していたネアンデルタール人だったが、その堅固な土台も、高潮にさらわれる砂の城のように消えていった。
それにかかった時間は、一万年にも満たなかった。ほぼ同じ時期、ホモ・サピエンスの到来は、アジアにいたイエティのようなデニソワ人、東南アジアの島々に暮らしていた“ホビット”型の先住人類(ホモ・ルゾネンシスやホモ・フロレシエンシス)にとっても終わりの始まりとなった。
そしておそらく、まだ発見されていない人類種たちもまた、同じ運命をたどったのだろう。
ローマ帝国の衰退と人類の衰退
こうなると、あとは衰退するだけだった。
進化論によれば、種がうまく繁栄するのは、張り合う相手がいるときだという。
競争相手がいなくなると、種は停滞し、外からの環境変化や内側からの要因に左右されやすくなる。歴史家ギボンが描いたローマ帝国の衰退(『ローマ帝国衰亡史』)と同じことが、人類にも当てはまる。
(本原稿は、ヘンリー・ジー著『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』〈竹内薫訳〉を編集、抜粋したものです)









