人類の歴史は、地球規模の支配を築いた壮大な成功の物語のようにも見える。しかし、その成功の裏で、ホモ・サピエンスはずっと「借りものの時間」を生きてきた。何千年も続いた栄光は、今や終わりが近づいている。なぜそうなったのか? 発売たちまち重版となった『ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史』は、人類の繁栄の歴史を振り返りながら、絶滅の可能性、その理由と運命を避けるための希望についても語っている。竹内薫氏(サイエンス作家)「深刻なテーマを扱っているにもかかわらず、著者の筆致がユーモアとウィットに富んでおり、痛快な読後感になっている。魔法のような一冊だ」など、日本と世界の第一人者から推薦されている。本書の内容の一部を特別に公開する。

「人類は何十万年も“狩猟採集”で生きてきたのに、なぜ“農耕”をはじめたのか?…」。驚きの3つの理由…人口爆発、大型動物の大絶滅、あと1つは?画像はイメージです Photo: Adobe Stock

農耕の発明

 狩猟採集民は、むやみにあたりをさまようことを普通はしない。季節ごとの自然の食料を効率よく利用するため、彼らは決まったルートをたどる傾向がある。

 野生動物の群れが特定の時期に特定の場所に現れることを知っているし、果物のなる季節にはその木のある森へ、魚がよく釣れる時期にはその湖や川へ向かう、といった具合だ。こうした習慣こそが、農耕の始まりにつながった。

世界最初の農耕民?

 肥沃な三日月地帯とは、イスラエル南部からトルコにかけて東地中海沿岸を北上し、そこから内陸に入り、ユーフラテス川とティグリス川の流域を南東へと伸びる一帯を指す。

 この地で、今から一万年以上前、人々は定住を始めた。狩猟採集民たちの行動はあまりに規則正しいものになっていたため、彼らの一部、いわゆるナトゥーフ文化の人々は小さな村に住み、狩りや採集のために日々通うようになった。

 そしてその過程で、彼らは自分たちの欲しいものを少しずつ変えていったのである。

 野生のイネ科植物は、種が熟すと鞘が自然に弾けて、周囲に種をまき散らす。しかし初期の採集民たちは、鞘が弾けてしまう前、つまり、できるだけ熟していて、まだ種がこぼれ落ちていない段階で穂を収穫し、自宅に持ち帰って粉に挽いていた。

 彼らは、より大きく、鞘がはじけにくい穂をつけた草を選んで集めていたのだろう。そうした穀粒の一部を、自分たちの住まいの近くに、最初は偶然、やがては意図的にまくようになった。

 こうして彼らは、世界最初の農耕民となったのである。

最大の疑問

 そういうふうに語られてはいるが、農耕の起源にはいまだに議論があり、その経緯も一筋縄ではいかない。

 最大の疑問は、なぜホモ・サピエンスが何十万年ものあいだ狩猟採集で生きてきたのに、ある時期から定住生活に移って、農耕を始めたのかということだ。そしてそれは「肥沃な三日月地帯」(ここで初めてコムギやオオムギが栽培された)だけで起きたのではない。

 実際には、農耕の発明は世界各地で、独立して何度も起きている。

 数千年というごく短い期間のうちに、東アメリカ、メソアメリカ、アンデス、アマゾン、熱帯アフリカ西部、エチオピア、中国、ニューギニア高地でもそれぞれ独自に農耕が始まった。

 地質学的な時間のスケールで見れば、農耕の発明は、まるで同時多発的かつ世界規模で起きたのだ。

3つの要因

 それは三つの要因がぶつかり合った結果かもしれない。

 第一の要因は、地球が数十万年ぶりの寒冷期をようやく抜けつつあったということだ。二万六千年前には、ヨーロッパや北アメリカの広い範囲が氷河に覆われていたが、その後の気候の回復は決してゆっくりと安定したものではなかった。

 現在のような比較的温暖な気候に落ち着いたのは約一万年前のことだが、それまでは暖かくなったり寒くなったりを繰り返し、その変化の激しさは一人の人間の一生のあいだにもはっきりと感じられるほどだった。

 こうした気候の急激な変化によって、以前はあてにできていた食料源が突如として不安定になり、人々はより確実な生活手段を模索せざるを得なくなったのである。

人口の増加と大型動物の絶滅

 第二の要因は、人の数が増えたことだ。何百万年ものあいだ、ヒト属は地球上で目立たない存在にすぎなかったが、ついに人口が増え始め、もはや狩猟採集だけでは生活が成り立たなくなってきていた可能性がある。

 世界の人口がどの程度に達すれば、技術的にいう「環境収容力」に到達したと見なせるのかは議論の余地があり、これについては後ほどあらためて触れる。

 とはいえ、狩猟採集だけで暮らすには、ヒトの数が地球の許容量に近づきつつあったと考えるのは妥当だろう。そして人類は、その存在を別の形でも地球に刻み始めていた。

 第三の要因は、第二の要因にある意味で付随しているのだが、増え続ける人類によって野生動物が激減したことだ。

 二万六千年前から一万年前のあいだに、体重四〇キログラムを超える大型動物(大型犬くらいの大きさ)のほとんどが絶滅している。この傾向が最も顕著だったのがアメリカ大陸である。

(本原稿は、ヘンリー・ジー著ホモ・サピエンス30万年、栄光と破滅の物語 人類帝国衰亡史〈竹内薫訳〉を編集、抜粋したものです)