Photo:JIJI
世界初のインスタントラーメンを発明した安藤百福氏。その人生は波瀾万丈だ。「チキンラーメン」や「カップヌードル」を生み出した日清食品の創業者になったわけだが、貧しい生活の中で研究に没頭した姿と、経営者として部下たちを管理する姿は全く違うものだったようだ。(イトモス研究所所長 小倉健一)
48歳・無一文から研究に没頭、日本を変えた大発明
お湯を注いで3分。この待ち時間は、何を意味するだろうか。
日清食品の創業者である安藤百福氏は、かつてこう語ったという。
「私はラーメンを売っているのではない。お客様に時間を提供しているのである」
私たちは、安藤氏が発明したインスタントラーメンによって、調理にかかる手間を大幅に削減し、自由に使える「時間」を手に入れた。
だが、安藤氏という人物を考えるとき、「時間」という言葉は、別の重みを持って迫ってくる。「時は命なり」とも、安藤氏は語っている。96年の生涯を閉じるその前日まで、精力的に仕事を続けた経営者にとって、時間とはコストであり、命そのものであった。
日清食品という「家業」を継いだ経営者たちは安藤氏のことを厳しい人物だったと振り返っているが、公式の自伝や評伝にはそのようなエピソードがなく、名言集から安藤氏の仕事への厳しさを推測していく他ない。
安藤氏の経歴は、順風満帆とは程遠い。日清食品のホームページではそんな彼の歴史が細かく紹介されている。
戦前から繊維事業や製塩業など、時代の流れを読んだ多様な事業を手がける才覚はあった。しかし、戦後の混乱期、1948年には脱税の嫌疑でGHQに逮捕され、巣鴨プリズンに収監される。このとき、財産の多くを失った。
さらに1957年、理事長を務めていた信用組合が破綻する。安藤氏は一切の財産を失い、大阪府池田市の借家だけが残った。この時、安藤氏は48歳。まさに「無一文」からの再出発であった。







