OGPPhoto by Teppei Hori

少子高齢化が進み、市場の縮小が懸念される教育業界。加えて、家庭環境や教育方針の多様化、教員の業務過多や孤独、学校でのICT活用や学習方法のアップデートなど、さまざまな要素が複雑に絡まり合い、教育現場の課題は山積している。ジャーナリストの田原総一朗氏に、今の日本の教育で特に課題と感じている点などを聞いた。 ※本稿は書籍『田原総一朗 最後の世代』(三省堂)の内容を抜粋・再編集しています。

学校や先生が信じられなくなった
青年・田原総一朗の「問い」を肯定した教師

――田原さんは、学生時代、「あの先生は良かった」と印象に残っている先生はいますか。

 そもそも教師はあまり信用していなかった。第2次世界大戦の戦時中と戦後、そして、朝鮮戦争の前後で、教師の言うことは180度変わったからね。でも1人、僕の悩みに親身に相談に乗ってくれた教師がいた。

――どのような先生だったのですか。

 高校の時、勉強が難しくて、「なぜこんな大変な思いをして難しい勉強をしなければならないのか」と非常に悩んだ時期があった。

 何人かの教師に相談しても、「当たり前だ」「お前は大学へ行きたいんだろう。大学に入るためには受験に受からないといけない。受験勉強が難しいのは当然だ」と言われた。

田原氏田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年からフリー。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」受賞。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。2023年1月、YouTube「田原総一朗チャンネル」を開設。近著に『田原総一朗 最後の世代』(三省堂)、『全身ジャーナリスト』(集英社)、『老人の知恵』(養老孟司氏との共著、毎日新聞出版)、『人生は天国か、それとも地獄か』(佐藤優氏との共著、白秋社)など。

「何のために大学へ行くのかわからない」と伝えると、「大学へ行かないと、良いところに就職できないからだ」と言う。

「何のために就職するのか、何のために仕事をするのかわからない」と伝えても、もはや相手にしてくれない。僕は不登校になりかけていた。

 でも、何人目かに聞いた国語の先生が、まともに話を聞いてくれた。それは哲学的な問いにもつながる、知り合いに京都大学の学者がいるから、会いに行ってきなさいと。

 僕は滋賀県にある彦根高校という高校に通っていたのだけれど、隣の京都府にある京都大学の若い哲学者を紹介してくれた。

 その哲学者に会いに行くと、なぜ勉強するのか、なぜ仕事をするのか、生きるとはどういうことなのか、たくさんディスカッションすることができた。

 それで、「一度しかない人生なので、死に際になって『生きてきて良かった』と思えるように、好きなことをやりたい」「それを見つけさせるのが教育ではないだろうか」と考えるようになった。

 その先生がまともに僕の相手をしてくれたのが、とても良かったと思う。もしあの先生がいなければ、僕は学校へ通う意味や、教育を受ける価値がわからなくて、不登校になっていたかもしれない。

――それは素敵な先生ですね。「そういうものなんだ」と居丈高(いたけだか)に言いくるめようとするのではなく、生徒と同じ目線で話を聞き、それが自身の範疇(はんちゅう)を超える内容であれば適した人や情報を案内してくれる。教育に重要なことの気がします。ちなみに、田原さんのご実家は、教育熱心な家だったのですか。

 母は教員の娘ということもあっただろうが、熱心だったように思う。当時(戦前)、女性で学校へ行く人はほとんどいなかったが、その地域で唯一、母は女学校を出ていた。高校受験の時は、深夜0時ぐらいまで勉強していたが、母はその時間まで見てくれていたし、朝も必ず起きて勉強に付き添ってくれていた。

――お父さんも熱心だったのですか。