
ジャーナリストの田原総一朗氏と、アメリカに拠点を移し、スタンドアップコメディアンとして武者修行中のウーマンラッシュアワー・村本大輔氏が対談。渡米のきっかけとなったコメディアン、日本とアメリカの笑いの違いとタブー、日米地位協定にみる日本が抱える大矛盾、村本氏が同窓会で説教されたできごと、原発や自衛隊について、日本はなぜ国際情勢に引け目を感じているのか?「平和」の選択肢は軍や核以外にないのか?――。独演会のため一時帰国中の村本氏と、村本の独演会を見に来た田原氏が、独演会本番前の東京・吉祥寺駅前のうどん屋で、店内がピリつくほどの大激論を交わした。
(文・編集/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光、撮影/堀 哲平、協力/藤田かほ、撮影協力/自家製うどん武吉志、対談実施日/2025年9月2日)
村本大輔の渡米を決意させたのは
大統領に相対する1人のコメディアンの姿
田原総一朗氏(以下、田原) 村本さんは、なぜ渡米したのですか?
村本大輔(以下、村本) アメリカのあるコメディアンに衝撃を受けたんです。
何年か前、スティーヴン・コルベアというコメディアンが、ホワイトハウスの晩餐会で、当時のブッシュ大統領をジョークでボロクソに言っていたのを、YouTubeで見たんですね。
ホワイトハウスで年に一度、ジャーナリストなどのメディア関係者、セレブリティー、政治家たちが参加する、記者クラブの晩餐会(※)があります。そこで、その年で最も毒舌だったコメディアンが呼ばれ、最前列のイスに座る大統領に対してボロッカスに悪口を言って、それを笑いに変えるんです。
それを見て「コメディアンって、かっこいいな」と。しかもホワイトハウスが主催しているんですよ。アメリカって、なんでこんなに自由に発言できるのだろうかと、興味が湧いたんです。
※ホワイトハウス・コレスポンデンツ・ディナー(White House Correspondents Dinner)

1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年からフリー。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」などでテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」受賞。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。2023年1月、YouTube「田原総一朗チャンネル」を開設。近著に『全身ジャーナリスト』(集英社)、『老人の知恵』(養老孟司氏との共著、毎日新聞出版)、『人生は天国か、それとも地獄か』(佐藤優氏との共著、白秋社)など。新刊『田原総一朗 最後の世代』(三省堂)が今秋発売予定。
田原 日本の首相は批判を嫌がるけれど、アメリカの大統領は批判を気にしないというか、むしろ批判されるのが好きだったりしますよね。
村本 でもトランプは最初に大統領になったとき、4年間、ずっと欠席していたようです。1度もその晩餐会に出席しなかった。唯一、晩餐から逃げた大統領と言われていますね。
田原 ああ、トランプは出たくないでしょうね。
村本 そういう国を見ていると、日本の芸能界って忖度ばかりで何かみっともないなって思ってしまうんです。
田原さんは、長い間ずっと日本のメディアに関わられてきたわけですが、その間、お笑い芸人が、テレビで政治のことを言って笑いに変えるということが、ひとつの文化として根付いたことってありましたか。
田原 政治を扱うお笑い芸人は結構いたと思いますが、どれも中途半端ではありますよね。
村本 でも、まったくいないわけではなく、ちょいちょい出てきますか。漫才ブームの頃に活躍した先輩の中には、僕が例えばテレビなどで原発に関するネタをやると、「お前、そんなことをやっていたら、もうこの芸能界でやっていけへんぞ」と、とても過敏になる方もいます。

福井県出身、1980年生まれ。2008年、中川パラダイスとウーマンラッシュアワーを結成。2009年「笑わん会第10回」優秀賞、「第7回MBS新世代漫才アワード」 第2位、2010年「第31回ABCお笑い新人グランプリ」 審査員特別賞、2011年「第32回 ABCお笑い新人グランプリ」最優秀新人賞を獲得。2013年「第43回NHK上方漫才コンテスト」「THE MANZAI 2013」で優勝を果たす。講演会やスタンダップコメディのライブといった活動を積極的に行い、2023年にはアーティストビザを取得、2024年より「世界的なコメディアンになる」と宣言し、活動の拠点をアメリカに移している。現在コンビでの活動は休止中。著書に『おれは無関心なあなたを傷つけたい』(ダイヤモンド社)。2024年7月、村本の活動を追ったドキュメンタリー『アイアム・ア・コメディアン』が公開された(日向史有監督)。
心配してくれているのだと思いますが、お笑い芸人がジョークのひとつも自由に言えないのというのもおかしくないですか。ジョークを言うのに不安と隣り合わせなんて。
最近では、吉本のお偉いさんとお話ししたときに、「村本君、別に原発のネタなんてしなくても、おもしろいネタいっぱいできるのに、なんでわざわざそんなんするの?」と言われたんです。僕にとってはそれがネタになる、観客に刺さる、そう思ってやっているのですが、それを、わざわざしていると捉えられてしまう。日本はそうした風潮があるんですよね。
田原 日本人はどうしてもジョークとして捉えられない。まじめで空気を読むので「そんな不謹慎なことを言うな!」となる。おもしろい国ですよね。
村本 おもしろいんですか? 自由に発言できない国が?
田原 僕はおもしろいですよ。規制されているわけではないのに、誰も自由に発言しようとしない。特にテレビでは、「原発なんていらない!」とか、「原発をなくしたら日本はつぶれるぞ!」とか、「それでつぶれるなら、つぶれたっていいじゃないか!」とか、そういうことは言わない。
村本 あ、ユニークで変わっているということですか。外国人に対してもすごく臆病ですよね。日本の総人口の約3%しかいないのに、とてもビビっている感じがするんです。関東大震災のときの朝鮮人虐殺事件や、最近では、アフリカとの交流推進を目的とした「ホームタウン」事業(※)など、移民に関するデマや思い込みも一気に広がったりしますよね。
※JICA(国際協力機構)は国際交流を後押しする事業として、日本の4つの自治体をアフリカ諸国の「ホームタウン」と認定。ナイジェリア政府による「特別なビザを作る」などの誤った情報が発信されたこともあり、SNS上で「移民の受け入れ促進につながる」などの誤解が拡散し、自治体等へ批判が殺到。9月27日にJICAはホームタウン事業の撤回を発表した
田原 国際情勢の中では、日本は自信がありませんね。恐怖心がある。
村本 それはやはり戦争に負けたからですか?
田原 もちろんそれは大きいはずです。戦争に負けて、国際情勢に引け目を感じるようになった。存在感を潜め、とにかく平穏な国にしなければいけないと、ずっと思ってきた。
村本 もし日本が戦争に勝っていたら、どうなっていましたかね。日本はもっと良い国になっていたと思いますか?