「親の経済力」だけではなく
「親の価値観」も教育格差に大きく影響

 全然。父はね、商売が大変だった。うまくいかなくて、苦労に苦労を重ねた。

 従業員10人ぐらいの小さな工場を経営していた。繊維のひもを作る工場を受け継いで細々とやっていて、最初はそれなりに順調だった。でも、世の中が戦争の雰囲気になると、国家総動員体制で国家資源の統制が始まり、軍事関連の工場でないとやっていけなくなった。民間企業は資源が回ってこなくなり、どこも厳しくなっていたね。戦争が起きて、僕が小学校3年生の秋に工場は閉鎖になってしまった。

 父は商売が下手なので、その後も大変そうだった。でもすごく明るくて、貧乏ではあったけれど、能天気というか、ポジティブではあった。

――教育熱心なお母さんと、仕事で苦労しつつもおおらかなお父さんの間で、田原さんは育ったのですね。その後、生活のために「東京の大学を出て東京で稼いでこい」と言われたのでしょうか。

 いや、母は東京の大学へ行くことには猛反対だった。当時は、東京というのは地理的にはもちろん、気持ち的にもとても遠かったからね。関西の大学を出て、役所に勤めろと言っていた。

――でも東京の早稲田大学へ入学しました。

 家族の反対を押し切って東京に出てきた。早大に憧れがあったんだね。父は、何だかんだで早大に入ったことを大喜びしていた。早大の帽子を買ったり、写真を撮ったりして、うれしそうだった。

 とはいえ、実家は貧乏のまま。特に工場を閉鎖してからの4年間は本当に苦しかった。だから、早く親を助けないといけないと思って、日本交通公社(現在のJTB)で働いたり、塾を経営したりして、実家に仕送りしていた。

――実家から仕送りを受けるのではなく、学生の田原さんが実家へ仕送りをしていたのですね。

 そうそう。だから本当に忙しかった。友人たちと喫茶店で政治などを議論するなんて、当時の文系学生っぽいことは、まったくできなかった(笑)。お金もかかるし時間もなかった。

不登校になりかけていた田原総一朗の運命を変えた「教師の行動」田原総一朗 最後の世代 「答えのない社会」を生きるために必要なたったひとつのこと』(三省堂)
ゲスト:高橋弘樹(ReHacQプロデューサー)、堀潤(ジャーナリスト)、鈴木寛(東京大学教授/元文部科学副大臣)、セーラちゃん(まぼろし博覧会館長)、三宅香帆(文芸評論家)

――ご両親は、高校を出たらすぐに働けとは言わなかったのですか。

 大学へ行くこと自体は全然反対していなかった。でも、当時、地元で東京の大学へ行ったのは僕1人。僕はたまたま母が教育に熱心だったけれど、やはり教育というのは、今も昔も周囲の環境や家庭状況にだいぶ左右される。こうした教育格差も大き課題だと感じている。

 先日、早大を9浪して入った濱井正吾さん(※)と話した。彼は、仮面浪人や働きながら受験を続けた。周りに大卒の人がいなかったので、受験勉強の方法もコツもわからなかった。「これが勉強のコツなのか」というのを、9浪めに通った予備校で初めてつかんだと言っていた。彼は「東大は今や、裕福な人ばかりが行くようになってきている」とも言っていた。
※濱井正吾(はまい・しょうご)……現在、教育ジャーナリスト、YouTuber として活動する。

――レベルの高い塾に通えるのは、それを払える経済力が親にあってこそですものね。

 塾に加えて、家庭教師もつけることもあるからね。

――般的な家庭ではなかなか難しいですよね。特に親が大卒でない場合の子は、大学へ行くという発想や、勉強のコツや勉強方法に触れる機会が、だいぶ限定されてしまいます。

 勉強できる環境があるというのは、ある意味、それだけで恵まれている。環境がないと、教えてもらうことも、塾へ行くこともできないからね。それに教育格差というのは、親の経済力だけではない。経済力があっても、情報があっても、親の価値観に左右されたりする。

 学校でも家庭でも「その子の可能性を開いてあげること」が、何より重要なんだと思う。