「個々の力」ではなく、「仕組み」で成果をあげる
「デンマークの競争力の高さ」に、私が人一倍敏感に反応したのは、長時間労働で知られる日本のなかでも、さらに極端な新聞記者という超長時間労働を、20年近くも経験してきたからなのだろう。私は仕事が好きだったけれど、それでもかなり多くのものと引き換えにしながら、身を粉にして働いてきたのである。
デンマークの働き方の日常風景と、それで競争力ランキングが世界トップだとか、一人当たりGDPは日本の2倍だとかいう現実を突きつけられると、それまで昼夜なく働いてきた自分が、というか、今も長時間労働をしている日本の人たちが、なんだかすごく損をしているような、努力の方向を間違えているような、そんなモヤモヤした気分になるのだ。
しかも、日々接するデンマーク人たちは、こう言っちゃ申し訳ないけど、特別優秀には見えないのである。つい先日も、ごくシンプルな合鍵を作るためにお店に行ったら、日本円にして2000円近く払ってできたコピーは、鍵穴には入ったけど回せない代物だった。
しかもこれは今回に限ったことではなくて、私の10年間のデンマーク暮らしの経験上、5割以上の確率で起きる(日本では一度も経験したことがない)。だから合鍵が必要な時はいつも、鍵が必要な場所に近い店で作ることにしている。「開かなかったんですけど」と店に戻って作り直してもらうことが前提なのである。
「このクオリティで、このお値段……」とガッカリするのは、低価格で高品質な日本の商品やサービスに慣れていることが大きいのだろうが、拍子抜けするのは生活感覚に限ったことではない。デンマーク人って特別優秀ってわけじゃないよね、という言葉を、デンマーク人と肩を並べて働いたアメリカ人やイギリス人、日本人など外国人からも、しばしば耳にするのである。
こんなに短時間労働で競争力が高いということは、一人ひとりがよほど優秀なんだろうな、と期待してデンマーク企業で働いてみたら、なんだかみんな凡人レベルで、拍子抜けした、という逸話の数々。これは、個人の優秀さというよりも、仕組みの力で、働く人のポテンシャルを引き出しているためだとわかるのは、後のことなのだが。
もっとうまく働き、豊かに生きるヒントがこの国に
もう一つ、「デンマークが競争力で世界1位」ということに私がモヤモヤを感じた理由は、日本とはあまりにも違う子育ての風景を目の当たりにしてきたからだった。
子どものうちは子どもらしくと、勉強よりも遊びが大事という環境で育っているデンマークの子どもたちは、実に伸び伸びとしている。小学校4年生の娘は、これまで宿題をもらってくることはほぼなかったが(夏休みだって「休み」だから、宿題はもちろんなし)、放課後にクラスメートと遊ぶ「プレイデート」の方は、学校からの“必須課題”として与えられてきた。
そんなデンマーク的感覚で、日本の子どもたちを観察していると、なんとよく勉強しているのかと感心してしまう。でも、夕方の地下鉄で、塾のプリントらしきものを必死に解いている小さな子を見たりすると、切なくもなるのだ。
日本人だって、そりゃ宿題はない方が楽だし、短時間労働の方がいいに決まってるけど、そんな安楽なことをしていては怠惰な人間ばかりできてしまって、勤勉さによって経済大国を作り上げてきた土台が失われてしまう、と。そういうことじゃなかったの?
なのに、ろくに宿題もテストもなく、中学生まで成績もない国で育った人たちが、たっぷりと休みながら回している経済が、なぜか国際的に高く評価され、人々は豊かな生活を送っている。一方、子どもたちは遊びや睡眠の時間を削ってでも勉強を頑張り、大人は長時間労働で疲弊している日本の競争力ランキングはずるずると下がって、今や下から数えた方が早い。
もちろん、競争力で語れることがすべてではないけれど、何かがおかしいとは思わないだろうか。デンマークという比較対象がない時は、そういうものだと半ば諦めていたところもあったけれど、私の目の前には、日本とはまるで違うアプローチを取りつつ、うまくいっている世界が、現実として広がっているのである。
これを取材しないのは、さすがに違うんじゃないのか。真逆とも言える働き方をしてきた私だからこそ、もうちょっとうまく働き、もっと豊かに生きるヒントに、何かしら気づけるんじゃないだろうか。
そんなふうに考えるようになったのだった。
※本記事は、『第3の時間──デンマークで学んだ、短く働き、人生を豊かに変える時間術』を抜粋、再編集したものです。




