東京ディズニーリゾートに57歳で入社し、65歳で退職するまで、私がすごした“夢の国”の「ありのまま」をお伝えしよう。楽しいこと、ハッピーなことばかりの仕事などない。それはほかのすべての仕事と同様、ディズニーキャストだってそうなのである。※本稿は笠原一郎『ディズニーキャストざわざわ日記』(三五館シンシャ、2022年2月1日発行)の一部を抜粋・編集したものです。一部の人物は仮名です。

某月某日 キャストになる
会社員としての暗黒時代

 昭和50年、大学4年生の私は人並みに就職活動*をスタートした。銀行とか保険会社などで必死にデスクワークするタイプではないと自己分析していた私はメーカーを中心に回り、キリンビールから内定*をもらった。

東京ディズニーに再就職…キリンビールを早期退職した57歳男性がお掃除キャストを志したワケ笠原一郎/1953年山口県山口市生まれ。一橋大学卒業後、キリンビール入社。マーケティング部、福井支店長などを経て、57歳で早期退職。東京ディズニーランドに準社員(アルバイト)として入社。65歳で定年退職するまで約8年間にわたりカストーディアルキャスト(清掃スタッフ)として勤務。 Photo:DIAMOND

 同期は四十数名おり、そのほとんどが事務系だった。私はまず大阪支店に配属された。西宮の独身寮に3年半ほどいて、26歳のとき、結婚して芦屋にある社宅に移り住んだ。

 その後、転勤族として東京、金沢、福岡、千葉、福井、東京と全国を転々としながらも40代の前半までは順調に昇進していった。会社員生活もまずまず楽しく、充実していた。

 だが、そこから暗黒時代が訪れることになる。

 44歳のとき、私は福井支店長となった。このときの上司は北陸支社長という肩書きの佐久間氏だった。佐久間氏は人の好き嫌いが激しい人で、そのことは北陸エリアの支店長のあいだでも有名だった。

 そして、どういうわけか、私は佐久間氏から疎まれた。

 当時、販売面ではライバル・A社の商品の勢いがあり、キリンビールは苦戦していた。月に一度、販売状況の報告を兼ねた「販売会議」が開催され、そのたびに私は金沢へおもむいた。