毎回そこで待っていたのは、佐久間氏からの叱責だった。ほかの北陸各県の販売状況もそれほど変わらなかったが、佐久間氏は私だけを標的にした。
あるクリスマスイヴの日、支社長室に呼び出された私は、その場で佐久間氏に机を叩きながら面罵された。
「もっと会社の役に立てよ!」
私はうつむいたまま、体中の血がかっと沸きあがるのを感じた。
販売に苦戦する日々の中、月末が近くなるとどうやって数字を作ればいいのか憂鬱になり、「販売会議」のことを考えると内臓が重くなるような感覚に襲われた。
福井駅から金沢駅へと向かう特急しらさぎの車内で、北陸特有の冬の暗い鉛色の空に押しつぶされそうになっていた。
出世コースからはすでに道を逸れかけていた。ついこのあいだまで肩を並べていた同期たちから後れをとることに引け目と焦燥があった。このころ、私は会社を辞めることばかりを考えていた。
当時の私はバラに凝っていて、バラ園に転職したいと願い、そのホームページにある採用情報を眺めては現実逃避をしていた。57歳で早期退職すると心に決め、それまであと何年とそのときを待ち遠しく思っていた。
その後、ようやく転勤した本社でも、新しい「危機管理」という業務が自分に合わず、また上司との折り合いも悪く、いくつかのあつれきが生じた*。
数年前に決めていたとおり、57歳のとき、定年までおよそ3年を残して早期退職をした。同期の多くも私と同じように早期退職する道*を選んだ。
早期退職後の第二の人生はこれまでと違う仕事をしたいと思っていた。退職後に酒類業界に再就職する人もいたが、私はまったく違う分野で、事務作業ではない仕事をしたかった。
東京ディズニーシーでキャストをしている
64歳の女性の記事を見つけた
何をしようかと思案しているとき、偶然読んだ雑誌に東京ディズニーシーでキャストをしている64歳の女性の記事を見つけた。
記事によれば、彼女はゲストと触れ合う毎日が楽しく、充実していると語っていた。記事もそうだったが、そこに添えられた写真にある彼女の笑顔がとても印象に残った。
東京ディズニーリゾートは以前から好きだったし、何よりも楽しく働くことができるのではないかと思った。自宅から近いのも好都合だった。







