「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

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インド人は悩まない

 あなたは日頃、どれほど自分の人生を「自分のために生きている」と胸を張って言えるだろうか。

 日本人が「悩まない」習慣を手にするために必要なのは、彼らインド民の図太いメンタルを取り込むことだ。今回はその一例として、インド・デリーの「他人に無遠慮すぎる世界」の一部を紹介する。この思考法を正しく使えば、あなたの人生にもきっと役に立つはずだ。

どこにいても何かしらの騒音がする

 インドという空間が持つもう一つの特徴として、音の迷惑に対して非常に無配慮であり、どこにいても何かしらの音がするということである。それは家の中でも変わらないし、路上でもオフィスでも同じだ。

 こうして執筆をしている中でも向かいの家の建設工事の音が窓から入ってくる。近所への挨拶など全くなく、突然工事が始まり、日が昇ってから沈むまで爆音を立てて工事をしている。路上には時折、野菜売りの屋台を引いたおっさんが、通りの端から端まで伝わる大声で叫んでいる。その横で誰の犬かわからない犬が吠えまくる。バイクやオートリキシャもろくにメンテナンスをしないので、エンジン音がうるさい。誰かが車をいじったのか、盗難防止スイッチが稼働してけたたましい音を立てても誰も見に来ない。これがデリーの日常である。

 どれだけ音に対しての配慮ができるかは、他人への配慮という精神を測るためにちょうどいい。
 音は何かを破壊することはなく、相手の精神以外に実害を生じさせない。どれだけ相手に迷惑をかけようと、物を損壊するわけではないので被害を与えても自分に何かを請求されるわけでもない。
 形が存在しないので、他人を想像することでしか自分が出している迷惑を考えることができない。インド民の音の暴力とでもいうべき喧騒は、まさに彼らが他人のことなど無配慮で「自分のことしか考えていない」象徴のような現象である。

 もちろん賢い読者の皆さまであれば、「この習慣をそのまま日本で取り入れればいい」と結論づけることはないだろう。このようなことをすれば、当然つまはじきに合う。

 しかし世界には、他人に迷惑を撒き散らしても平然と何食わぬ顔で生きているインド民が14億人もいるのだ。日本の暮らしに息苦しくなったら、ヤツらの存在を思い出して、「自分のために人生を生きる」ことの重要性を思い出してほしい。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を抜粋・調整・加筆した原稿です)