「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
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きらびやかなインドのパーティ
インドの正月は「ディワリ」と呼ばれ、旧暦なので毎年時期がずれるのだが、9月から11月にあたる。日本の正月のように学校や会社が休みになり、人々は家族と過ごしたりする。社内でパーティを開催する会社もあり、インド民はこのようなパーティがとても楽しみらしく、皆、張り切って参加する。
パーティに参加するインド民の衣装は、非常にきらびやかだ。ゴールドのアクセサリーを身に着け、ブランド品のバックや大きな石が付いた指輪など、家にある宝石を全部身に着けて来たくらいの勢いで着飾ってくる。結婚式ともなればさらに豪華だ。
そんな雰囲気に乗じて、駐在員や駐在に帯同している配偶者も日本ではなかなか身に着けないようなアクセサリーや、派手な衣装を無邪気に身に着け、楽しそうにパーティに参加している。
「私には価値がある」シグナル
パーティに限らず、インドや中国、中東、一部のアフリカ系の人々の中には、ブランド品をこれでもかと前面に押し出して着飾る傾向が強く見えるが、これにはどういった心情があるのだろうか。
それは、「私には価値がある」というシグナルを、相手に送ることが、自分にとって有利なポジションの確保や自己防衛になることが関係している。
人が過密で大量に生きている社会においては、分かりやすい形で「自分には価値があり、大切にされる存在である」ことを示さねばならない。そうしないと、相手からないがしろに扱われる。
例えば、インドのそれなりのレストランや高級志向のお店では、ドアマンが必ずいて、来客を見極め、明らかに店が求める階層ではない人々が来たら排除できるようになっている。これは、日本では限られたところでしか見ない光景だが、インドでは露骨だし、その他の国に住む人も経験したことがあるかもしれない。
使えるハッタリは使うべき
ブランド品に代表される地位財は、「価値があると共通認識されているモノを身に着けることで、自分の存在そのものに価値があることを示す」ための演出装置だ。無知な相手にも認識させる必要があるから、インド民も、大き目のロゴやゴールドやきらびやかな宝石を好む。
日本でも何の仕事をしているか分からない怪しい人に限って、このような恰好を好むのは、自らの存在の不安定さを自覚しているからだろう。
いわゆる港区女子は、その意味でブランド品の効果を十二分に正しく理解している。自分そのものに存在価値が薄いことを、ブランド品で覆い隠している。このハッタリの効果を利用してやろうという気概は、インド民の合理性に通じるところを感じる。
こういった側面は、日本ではばかにされる傾向があるが、競争社会の中で、使えるものは使ってやろうという心がまえは力強い。そういった行為をみっともないとは思わない世界も存在するということは、私たちも認識しておいて損はないだろう。
もしかすると、見た目に気を遣わず、簡単にできる演出をサボっている人は、日本でも随分と損をしているかもしれない。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)









