「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
「“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)
Photo: Adobe Stock
老後を心配する日本人
老後2000万円問題を聞いて久しい。日本がどんどん貧乏になっていき、人口も減っていく中で、老後の心配は尽きない。寿命も長くなっていき、人生100年時代と言われているなかで、インフレは確実に進み、いったいいくら老後に備えておけば安心なのか見当も付かずに悩んでいる日本人は多い。
しかし、政府が老後の面倒を見てくれるなどというのは、世界の歴史の中で極めて稀な状況で、現代においても北欧の一部の国くらいしかまともな全人生型の制度を持っている国はない。では、それまで人類は、老後に孤独な貧困にあえいでいたかというと決してそうではない。
「お前の子どもが助けてくれるじゃないか」
「老後が心配だ」とインド民に相談すると、きっと彼らは、「お前の子どもが助けてくれるじゃないか」と言うだろう。誰も、「どこそこの株を買っておけば大丈夫」とか、「今から不動産投資をはじめよう」とか、そんなことは言わない。
政府などというものに、インド民が頼るはずがない。曲がりなりにも一つの国家としてふるまっているインドは、何百という異なった言語集団と、互いに姿かたちも異なる人々で構成されたモザイク国家だ。その制度に依りかからずに自分の人生を強く生きているインド民が、ここには暮らしている。
子どもは親にとっての「セーフティネット」
私の職場にいるインド民は、とある理由で突然会社を休むことがある。それは親や親族を病院につれていくという用事だ。20代~40代の社員の親なので、自分で病院にいけないほど弱っているわけではないが、子どもや親族が親の面倒を見るのは当然のことのようで、車を持っているような世代に声がかかるのである。住居についても親と同居しているか、近隣に住んでいるパターンが非常に多い。
いつの頃からか、自分の生活や幸せのために子どもを産んだり、使ったりすることが、日本では批判されるようになった。「子どもは親の道具ではない」、という言説があり、親は子どもに頼るべきではなく、自分の人生を切り盛りする労力を完全に個人で引き受けるような考え方だ。
しかし、裸の個人が老後も含めて一人で生きているはずもなく、年金制度や社会保障が十分な老後の準備にならずに破綻をきたしているなかで、自分の子どもは、親にとって確度の高いセーフティネットのはずだ。
インド人の「合理的思考」
誰が言い始めたか分からない、「子どもは親の道具ではない」という意見は横に置いておいて、老後はがっつり自分の子どもに頼る覚悟も日本の老人世代には必要だ。他人や他人の子どもが収める税金などに頼らず、自分の子どもに頼るほうが心理的な面からも効率の面からも最も確実な方法なのだ。
合理的に考えれば、答えがあるはずなのに、何かがそれの邪魔をする。日本人はとにかく「考えすぎ」だ。自分のことを素直に考えれば、目の前にシンプルな答えがある。それなのに、様々な配慮や、他人の目にさらされて見えにくくなっている。
今回出版した『インド人は悩まない』では、ひたすら自分の人生を幸せに生きるヒントが散りばめられている。「考えすぎ」から解放される究極の合理思考を手に入れよう。
(本記事は『インド人は悩まない』の一部を抜粋・調整・加筆した原稿です)









