「いつも、考えすぎて損してばかり!!」
日本人は礼儀正しくて、とても優秀……なのに、日々必要以上に思い悩んでいないだろうか?
“究極の合理思考”を身につければ、もっと楽しくラクになる」――。数十億規模の案件に関わり、インド人部下オペレーションを経験したインド麦茶氏は、「常に自分中心」「短期志向」「無計画で今を生きている」ように見える彼らに「日本人が幸せを謳歌するための“ヒント”」を見出したという。
新刊『インド人は悩まない』では、人口14億・上位1%が富の40%以上を所有する超競争・過密・格差社会を生き抜く人々の「規格外の行動力」と「抜け目なさ」の秘密を紹介している。今回はその魅力の中から一部をお届けする。(構成/ダイヤモンド社・榛村光哲)

「なぜ日本人はクリスマスを祝うのか?」インド人の意見が意外に納得すぎたPhoto: Adobe Stock

日本人が楽しみにするクリスマス

「なんで、私たち日本人はキリスト教徒じゃないのに、クリスマスをお祝いしているの?」小学生くらいの時に、そんな質問を学校の先生に向かって投げかけた思い出がある人もいるだろう。

日本はとにかく宗教に対して柔軟な国で、大部分がキリスト教徒ではないにもかかわらず、我々はクリスマスを一大イベントしてお祝いをする。「宗教」という存在を理解しはじめた子どもからすると、そんな光景がちょっと不思議に映るのも無理もない。何せ、「世の中に色々なルールがあり、それに従うこと」を覚え始めた年頃だ。

インドもなぜかクリスマス一色

インドは、ヒンドゥー教やイスラム教の人口が9割以上を占め、キリスト教徒は2%程度だ。宗教色が強いと思われがちなこの国では、クリスマスイベントやお祝いはあまり盛んでないと思うかもしれない。

しかし、実際には、ここぞとばかりにインドのショッピングモールはクリスマスコーナーを作り、マンションのエントランスにはツリーやサンタクロースも登場する。商機があれば、なんでもありなのだ。
デリーは各国の大使館があるので、ドイツやスイスなどの大使館が開催するクリスマスイベントに地元のインドの人々も参加し、声楽隊の讃美歌を楽しそうに聞いている。

宗教にも柔軟に対処するインド民

実利を重んじるインド民は、宗教においてもかなり寛容だ。

外国から見ると、インド民の食生活は宗教で縛られているように見えるかもしれないが、ヒンドゥー教徒には、ベジタリアンもノンベジタリアンもいるし、ベジタリアンを自称している者の中には、「鳥は四本足ではないから、ベジタリアンメニューだ」という、我々では理解不能な説明の下に、チキンや海鮮を食べたりしている者もいる。もちろん婚姻や葬儀など、宗教色が極めて強い部分も生活の中には存在するが、宗教のルールに縛られているという日本からのインドの印象と現地の生活感とは異なる。

いかに彼らが宗教を尊重しつつも現世利益に即して柔軟な対応をしているかが分かってくる。

ルールよりも大切な「実利」

インドの歴史を見ても、「実利」が「ルール」に勝ってきた歴史と言えるだろう。紀元前4世紀のマウリヤ朝期には仏教が栄えたものの、その後インドでは仏教は衰退し、代わって大衆的な土着信仰と改革されたバラモン教が融合し、今日のヒンドゥー教の宗教文化が形成された。だからこそ、同じヒンドゥー教であっても地域や社会グループによって異なった特徴を持っていて、それぞれに合った信仰の解釈と生活をしている。

その後、ムスリムの王朝が力を増し、16世紀にはムガル帝国が誕生した。その3代目の王アクバル帝を題材にした有名なインド映画『Jodhaa Akbar』では、彼の戦いと結婚を描いている。彼は、イスラム教徒なのに異教徒を妻にし、民族融和を図って統治に成功した。

ルールよりも実利・合理性が先行するというのは、インド民の思考法の特徴の一つだ。まず自身の利益がある選択を考え、そこに合わせてルールを解釈・適用していく。はじめからルールに沿わない選択肢を除外した上で、どれを選びましょうという考え方では“ない”。

しかしそんな彼らとビジネスで話していると、「そんなことはルール上だめだから検討の意味はない」というオプションも堂々と机に並べて議論し始める。場合によってはそれが通ってしまったりする不思議な国なのだ。

(本記事は『インド人は悩まない』の一部を加筆・調整・編集した原稿です)