推し活にお金がかかるのは、わかっている。それでもやめられないのが「一番くじ」だ。もしかしたら、たった850円で、小学生の頃から好きだったキャラクターのフィギュアが手に入るかもしれない。そんな期待を前に、理性は簡単に負けてしまう。気づけば5回、10回……と、出費は1万円を超えることも少なくない。それでも、「無駄遣いをしてしまった」とは言い切れずにいる。(執筆:坂本実紀、構成:ダイヤモンド社書籍編集局)
一番くじの景品
「一番くじ」に1万円以上使ってしまう人
WEB&ブックライター
高知県出身の3児の母。出版社勤務を経てフリーライターへ転身し、現在は新潟市を拠点に地域情報メディアのライティングやブックライティングに携わる。恋愛コラムニストとしても活動。
「一番くじ」が好きだ。一番くじとは、コンビニや書店などでできるキャラクターグッズのくじのこと。小学校の頃に大好きだったキャラのフィギュアが、もしかしたら850円で手に入るかもしれない。そんな誘惑に負け、ついつい一番くじを引いてしまう。
もちろん、1回で狙ったフィギュアが出るなんて奇跡が起きるはずはない。5回、また5回と刻みながらクジを引くが、狙った賞はなかなか当たらない。
今回も、結局19回クジを引いてしまった。総額は1万6150円だ。
当たった瞬間は、店員さんとハイタッチをした。だが、家族で数回外食に行ける金額を、私はまた推しのフィギュアにつぎ込んでいた。
ドーパミンのラットレース
それでも、好きなキャラクターや漫画の一番くじが出ると、またやってしまう。毎回、1万円以上の額をつぎ込んでしまう。
なぜ、こんなにも一番くじにお金を使ってしまうのか? その理由を考えていたとき、最近読んだ「お金の使い方」に関するベストセラー『アート・オブ・スペンディングマネー』の一節に、思わず膝を打った。
本書の中に「ドーパミンのラットレース」という項目がある。そこにはこう書いてある。
・ 欲しくないものは、持っていようがいなかろうが気にもしない
・ 欲しくて手に入るものは、そこそこ良い気分をもたらす
・ 欲しいが手に入らないものは、手に入れようという意欲を高める
・ 欲しいが絶対に手に入らないものは、執着や苦悩を生む
(『アート・オブ・スペンディングマネー』より抜粋)
一番くじの魅力は、「欲しいものが手に入らないもどかしさ」にあるのではないか。
人気商品によっては争奪戦が激しく、発売日にお店に並んでも、まとめ買いされてクジを引けないことすらある(最近は、1回に引ける回数を制限している店舗もある)。
人気なものほど、なかなか買えない。そこで生まれるのは、執着や苦悩だ。結果として、「どうしてもそれが欲しい」という思考回路になってしまう。
一番くじの魅力は「景品」ではなく「プロセス」
では、そんなふうに、やっとの思いで手に入れたフィギュアをどうするか。実は、そのほとんどが開封せずに、押し入れの奥にしまってある。『アート・オブ・スペンディングマネー』には、こうも書いてあった。
脳は物を求めているのではない。新しい物さえ求めていない。脳は、新しい物を手に入れるための「プロセス」や「期待感」を求めているのだ。
(『アート・オブ・スペンディングマネー』より抜粋)
そう、一番くじの価値は「得る」プロセスにある。当たるかどうかのワクワクと、手に入れた時の満足感を味わうことだ。
何回めくっても欲しい賞品が出ない絶望の中、狙った商品が出た時の喜び。何度も並びなおして一緒にくじを引いた名前も知らない人との会話。交換した互いの推しの商品……こうしたプロセスが人を魅了するのではないか。
だから、実際に手に入れて「所有してしまう」と、その熱は一気に冷めてしまい、押し入れの肥やしとなるわけだ。
自分にとって「幸せなお金の使い方」と?
ここまで読むと、一番くじにお金を使うことを「もったいない」と思う人もいるだろう。
ただ、『アート・オブ・スペンディングマネー』では、自分にとって何が幸せかを見極めて、それにお金を使うことの大切さも書かれていた。
長い人生の中、小学校の頃から30年以上好きだったキャラクターを、大人になって手にするチャンスがある。そこにお金をかけられる。私にとって、こんな幸せなこともない。
たとえドーパミンのラットレースだとしても、私の人生にとって「一番くじ」は、最良のお金の使い方の一つなのかもしれない。
(本原稿は、『アート・オブ・スペンディングマネー 1度きりの人生で「お金」をどう使うべきか?』(モーガン・ハウセル著・児島修訳)に関連した書き下ろし記事です)





