Photo:SANKEI
地方競馬から中央競馬のトップに駆け上がったオグリキャップは、日本でもっとも愛された名馬だ。しかし、引退後の歩みは苦難の連続だった。誰にも騒がれることなく死んでいった、オグリキャップの晩年の姿とは?※本稿は、ノンフィクションライターの江面弘也『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
種付け姿までも下世話に
騒がれたオグリキャップ
引退後もオグリキャップ人気がやむことはなかった。
優駿スタリオンステーション(編集部注/北海道新冠郡新冠町朝日で種牡馬を繋養している牧場。1991年から2010年までオグリキャップが在籍)は北海道観光ツアーに組み込まれ、休日になれば駐車場には観光バスが何台も並んだ。
種付けの合間に放牧地で英気を養っているオグリキャップを見るために設けられた見学台はいつもファンでいっぱいになり、オグリキャップのグッズを販売する売店もつくられた。ゴールデンウイークや夏休みには渋滞ができて警察が出動したほどで、売店では年に1億円もの売り上げがあったという。
オグリキャップが種牡馬になってから、わたしもなんどか優駿スタリオンに足を運んだ。オグリキャップの取材もあったが、日高の牧場の取材に行った帰りに観光客に混じって見学台で眺めることもあった。
その当時、オグリキャップの放牧地の隣は森宇め牧場だった。笠松競馬場時代のライバルだったマーチトウショウや1989年の毎日王冠で4着だったウインドミルの父親プレストウコウがうまれた牧場である。







