Photo:SANKEI
競馬は、血統に恵まれたサラブレッドが活躍する世界。そんな常識を覆し日本中を熱狂させたのが、地方競馬から彗星のごとく現れたオグリキャップだった。なぜ無名の地方馬が、中央競馬の頂点へと駆け上がることができたのか。その裏には、3~4コーナーで見せた“脚”にすべてを賭けた、ある馬主の決断があった。※本稿は、ノンフィクションライターの江面弘也『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
まったく新しいやり方で
旋風を巻き起こした馬主
愛知県名古屋市中区栄。名古屋一の繁華街にあるビルに佐橋五十雄をたずねたのは1988年の春だった。わたしは『優駿』(編集部注/日本中央競馬会の機関広報誌として発行されている競馬専門雑誌)の「オーナー愛馬を語る」というページを担当していて、無署名だがほとんど自分で原稿を書いていた。
佐橋を取材したのはオグリキャップが中央デビュー2戦めの毎日杯に勝ったあとだった。デビュー戦のペガサスステークス当日(3月6日)には中京競馬場で中日新聞杯があり、佐橋が所有するトキノオリエントが勝っていた。
地方から移籍してきた馬がおなじ日に重賞を勝ち、オーナーもおなじだったという話題もあって、佐橋に取材を申し込んだのだ。もちろんこのときは、オグリキャップが日本中を熱狂させるアイドルホースになるなど考えもしなかった。
当時、佐橋は41歳。ミックスジャム株式会社という、インテリア小物やファンシーグッズを扱う会社を営んでいて、中央競馬の馬主資格をとってまだ1年2カ月だった。







