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「毎月の管理料が馬鹿にならないと、墓じまいを考え始めた。ところが寺に相談した途端、檀家から離れるにあたっての手切れ金、いわゆる離檀料として500万円を請求された」こんな事例が増えている。はたしてお墓の管理料や離檀料は払う必要があるのか。無駄な出費を抑える「賢い墓じまい」の進め方とは?※本稿は、宗教学者の島田裕巳『無縁仏でいい、という選択 墓も、墓じまいも、遺骨も要らない』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
よほど有名な人以外は
年を取ったら忘れられる
私たちの存在は、ごく例外的な人物を除いて、時間とともに消え去っていくのである。
現代の長寿社会では、90歳を過ぎても生きる人が少なくなくなった。中にはその年齢に達しても元気で活動している人はいる。
私は長年ジャズを聴いてきたので、ジャズ・ミュージシャンに関心があるが、最近では、特にサックス奏者で、90歳を超えても活躍しているミュージシャンが少なくないことに気づかされるようになった。日本だと92歳の渡辺貞夫や、こちらはクラリネットだが96歳の北村英治がいる。お二方とも、現在、コンサートやライブで演奏活動を続けている。
作家でも、90歳を超えて執筆活動を続けている人たちが現れるようになった。101歳の佐藤愛子は、『百一歳。終着駅のその先へ』(中央公論新社)というエッセイとインタビュー集を2025年の3月に出している。92歳の五木寛之は、今も『日刊ゲンダイ』紙で「流されゆく日々」という連載を毎日続けている。
こうした高齢になっても元気で活躍している人なら、その存在は多くの人たちに認識されている。
ところが、生き続けてはいても、社会的な活動を止めてしまえば、注目されることもなくなり、人々の記憶から消え去っていく。







