そうした人が亡くなると、改めて「まだ生きていたのか」と認識されることになるのだが、すぐにまた人々の記憶の中から消えていく。

墓を持つステータスは消え去り
経済的負担だけが残った

 墓を建てることがブームになっていた時代には、墓に名前が刻まれることで自分の存在は残り、消え去ってはいかないのではと考えられたかもしれない。たしかに、墓には戒名とともに俗名が刻まれており、その墓を守り、参る人がいれば、忘れ去られたりはしないはずだ。

 しかし、墓というものは、構造的に子孫に負担をかけるものになっている。

 今、墓じまいを行っている人たちは、ほとんどの場合、自分が建てた墓を処分しているわけではない。

 その墓は、親が建てたものかもしれないし、さらにその前の先祖が建てたものかもしれない。その人たちは、自分たちで勝手に墓を建て、その管理を子孫に委ねたのだ。子孫の承諾など得ていない。得ようと思っても、世代が離れていれば、そんなことは不可能だ。

 祖先が勝手に建てた墓を、子孫が守っていく義務などあるはずもない。そのように考えることができる。さらに言えば、そうした性格を持つ墓である以上、律義に墓じまいを行う義務もないのではないだろうか。

 中には、羽振りのいい時代に、自分が入るために立派な寿陵墓を建てたものの、いざそこに入る時期が近づいてくると、そこに自分の骨が納められても、墓参りをし、墓を守ってくれる人間がいないことに気づき、自ら墓じまいをする人もいるに違いない。それなら自己責任の範囲である。

高額な離檀料を払って
墓じまいするのは愚の骨頂

 1つの選択肢として、管理できなくなった墓は放置するという手がある。家族の遺体さえ引き取らないことがあるのだから、参らなくなった墓など放っておけばいいのだ。

 墓参りもせず、管理料を支払わなくても、何も問題は起こらない。

 墓地の方から何か言ってくるかもしれないが、もう墓に葬られた故人とは縁が切れているからと答えればよいのだ。実際、そうした人たちもいる。だから、無縁墓が次々と増えていくのである。