東京・上野にある国立科学博物館で2025年10月21日~11月30日まで開催され、大盛況で閉幕した企画展「量子の世紀」。量子力学の理論や歴史が紹介されているだけでなく、量子力学と格闘してきた科学者たちの軌跡までもがわかる本展がどう企画されたのか、監修者の河野洋人氏に話を伺った。(ダイヤモンド社書籍編集局)

――「量子の世紀」、とても素晴らしい展示でした! 私のような理数系ダメダメ人間でも最後まで楽しかったです。今回のような企画展が開催された経緯を教えてください。
河野洋人氏(以下、河野):企画のスタートは結構遡ります。
開催の1年半くらい前に「量子力学の企画展をやりたい!」と手を挙げました。
河野洋人(こうの・ひろと)国立科学博物館 理学研究部理化学グループ研究員
――かなり前からスタートしているんですね!
河野:というのは、会場の都合もあり、かなり前から計画する必要がどうしてもあって。
今回のように1ヵ月程度と会期の短い展示でも、やっぱり1年以上前から会場を確保する必要があるんです。
今回の会場よりも広い企画展示室を使って2~3ヵ月も開催する企画展の場合、2~3年前から計画しないといけません。
具体的な内容は、開催の8ヵ月~1年前くらいから詰めていきます。
今回も、企画展示のチームと話し合いながら、展示制作に協力してくれる業者さんや運送会社さん、印刷会社さんなどを決めて……開催の5ヵ月ほど前には、本格的に動いていましたね。
――色々な人が関わることで素敵な企画展が作られているのですね。
なぜ量子力学の企画展をやりたいと思われたのですか?
河野:2025年が、量子力学理論の誕生からおよそ100年を記念する「国際量子科学技術年」とされていたことが大きいです。
今回の企画展のタイトルは「量子の世紀」としました。
記念の年をお祝いしつつ、その100年の軌跡を伝えたい、というコンセプトが中心にあったわけです。
ただ、それをどう具体的に実現していくかっていうのは、やっぱりすごく難しくて。
「量子力学をどう展示するか」の難しさの一つは、「量子力学そのものの難しさ」にあります。
――量子力学そのものの難しさですか?
河野:はい。
基本的に量子力学は、抽象的な理論であるわけです。
しかも、日常の感覚や経験から乖離している「非直観的」な性質を持っているというのが、大きな特徴になっています。
手で触ったり、目で見たりできるようなものではない。
つまり物質的ではないわけですよね。
ただ、博物館の展示って、基本的にはやっぱり資料などの「物」で作っていくものです。
そうなると、目に見えない世界を扱い、しかも非直観的な量子力学は、日常の感覚や経験にも訴えることができないし、見せる「物」を用意するのも難しい。
かといって、量子力学が私たちの生活に関係ないかというと、全くそうではないんです。
むしろ、すごく関係しています。
例えば、スマホ1つとっても、量子力学は半導体や通信技術の話につながっている。
ただ難しいのは、たとえ仮に半導体チップを展示したからといって、量子力学を展示したことになるのかと考えると、多分そうではない。
つまり、私たちの日々の生活や身近な経験と、量子力学の理論をつなぐものは、かなり少ないんです。
それなのに私たちの生活を支えているし、変えていく可能性もある。
――なるほど。私たちの生活に関係しているけど目に見えない理論上のものだから、「展示物」に落とし込むのが難しいんですね……。大変すぎる……!
河野:そうなんです。
ですので、狭い意味での「物」のみにとらわれず、「なにが、どう展示できるのか」をずっと考えていました。
「物」の展示という意味では、例えば科学者の手紙や実験機器など、実在している資料があります。
一方、今回はハンズオン(注:手で触れられる展示のこと)も多く制作しました。展示としてオーソドックスな手法ではあるのですが、量子力学の抽象的な理論を少しでも体験的に伝えられたら、と工夫しました。
さらに今回こだわったのは、「現象そのものを展示する」ことです。
例えば、有名な「二重スリット実験」に関係する「光の干渉縞」を展示にしました。
光の干渉という実際の自然現象、現実で起こっていることそのものを、展示にしています。
そしてもうひとつ、「言葉を展示したい」と考えました。
量子力学にまつわる科学者の生の「言葉」を展示したり、テーマやモチーフにしたりすることで、理論の背後にいる「人」に目が向くんじゃないかと思ったんです。
もっと言うと、科学者自身が量子力学という非直観的な理論に直面して苦悩したということ。
それは実は現代でもそうで、分からないことがあるなかでも、研究や技術開発が進められているということ。
言葉を展示することで、量子力学の理論そのものもそうだし、それを取り巻く社会的な状況、現在地も伝わるんじゃないかと思い、今回取り入れてみました。
展示の最後に「量子力学名言集」というコーナーを作ったんです。
科学者の「名言」を掲げながら、企画展を見てくださった皆さんにも「量子力学の名言」を書いてもらうという展示だったんですが、最終的には「名言」だけでなく、展示の感想や量子力学への思いなど、いろいろなメッセージを残してくれました。
付箋で溢れている量子力学名言集コーナー
ワイワイと、わからないことを楽しんでもらえたということが、とても嬉しかったですね。
正直あそこまでたくさんの方に注目してもらえるとは思っていませんでした……!!
――付箋のコーナーかなり大人気でしたよね! 私が拝見したときにはあまりにも多くの付箋で埋め尽くされていてびっくりしました。
「言葉の展示」と関連して、企画のキービジュアルについてもお聞きしたいです。
今回のキービジュアル、たくさんの「言葉」が並んでいてとてもおしゃれでした! デザインはどうやって決められたのですか?
河野:ありがとうございます。
キービジュアルもかなりこだわっていて、あんまり科博(国立科学博物館)ではやらないスタイルのデザインにしています。
どちらかというと、サイエンス系というより芸術系に近い、言葉をメインにしたデザインです。
最初、デザイナーさんからは4つ案を出していただきました。
言葉が並んでいるデザイン、量子力学にゆかりのある科学者たちが並んでいる映画のポスターみたいなデザイン、量子力学の理論を概念的な絵にしたデザイン、「シュレーディンガーの猫」をモチーフにしたデザインでした。
どれも素敵で悩んだんです……。チームのみんなでいろいろ話しました。
まず直近で開催されていた他館の展示のポスターが猫のデザインだったので、これはやめておこうかな、と。
次は「企画展にどんな人に来てもらいたいか」と考えました。
科学者が並んでいるデザインは本当にかっこよかったんです。
ただそのデザインだと、案外「人」の要素が伝わりきらず、「最初からある程度量子力学に興味がある人」だけが来てくれる展示になりそうだと感じました。
今回の企画展は、「量子力学を全く知らない人」にも来ていただきたいと考えていたので、できるだけたくさんの人が興味を持ってくれるような方向で検討した結果、言葉が並んでいるデザインに決まりました。
――考え抜かれたデザインだったんですね…!
キービジュアルを拝見したとき、言葉の選び方と「知的格闘」という言葉が特に素敵だと思いました!
言葉はどうやって選ばれたんですか?
河野:私の専門は科学史なのですが、量子力学が作り上げられたときの文献をいろいろ読んでいると、当時の科学者たちが、この難解な理論を目の前にしたときの苦労と工夫が、とても印象的なんです。
大変わかりやすくご説明していただきました!
実は、先ほどの「名言集」というコーナーは、最初の案では「不満集」だったんです。
科学者たちはそれぞれ量子力学の理論やその解釈に不満を持っていて、議論をたたかわせていました。
時に荒々しい言葉が飛び交うこともあって、それがすごく人間らしいなと思ったんです。
そんなことを思っていたら、チームのミーティングで「知的格闘」という言葉がポロッと口から出たんです。
その言い方をみんなが「面白い!」と言ってくれて。
最終的に今回の企画展のモチーフのようになりました。
ただ「不満集」の方は、ネガティブすぎるような感じもして、最終的に「名言集」に落ち着きました。
量子力学は非直観的で難しいし、現在に至るまでわからないことがある。でもだからこそ、科学者たちは、探究を続けているわけです。
この「難しくてわからない」ということを、変にごまかして「誰でもわかる」にするんじゃなくて、きちんとそのまま伝えた方がいいのではないか、と思っていました。
そうした「わからない」ことを肯定する展示を作りたい、と考えたとき、科学者たち自身が「わからない」と苦悩する「言葉」を展示することが、一つのきっかけになると思ったんです。
――たしかに量子力学ってわかったようなわからないような気がするなと思いながら展示を拝見しましたが、科学者の人もわからなかったって言ってもらえて勇気をもらえました!
次はぜひ企画の内容についてお話をお伺いさせてください。
※企画展「量子の世紀」は終了してしまいましたが、国立科学博物館では企画展終了後に会場の様子をVRで楽しめるよう、近日中にHPで公開します。
ぜひご覧ください!
https://www.kahaku.go.jp/VR/exhi-ueno.php#btn_field
国立科学博物館 理学研究部理化学グループ研究員
専門は科学史。日本における物性物理学の形成過程を中心に、近現代の物理科学史を研究している。



