量子コンピュータが私たちの未来を変える日は実はすぐそこまで来ている。
そんな今だからこそ、量子コンピュータについて知ることには大きな意味がある。単なる専門技術ではなく、これからの世界を理解し、自らの立場でどう関わるかを考えるための「新しい教養」だ。
『教養としての量子コンピュータ』では、最前線で研究を牽引する大阪大学教授の藤井啓祐氏が、物理学、情報科学、ビジネスの視点から、量子コンピュータをわかりやすく、かつ面白く伝えている。今回、藤井氏にインタビューを実施。量子コンピュータと暗号について聞いた。(取材・構成/小川晶子)

【ビットコイン大暴落の真相】量子コンピュータが暗号をすべて解いてしまう日が来るのかPhoto: Adobe Stock

量子コンピュータ実現でビットコイン暴落?

――量子コンピュータと暗号について教えてください。量子コンピュータの進歩によって、ビットコインなどの仮想通貨が無価値になるのではないかと言われるようですが、これはどういうことなのですか。

藤井啓祐氏(以下、藤井):2019年にグーグルが「量子超越を実現した」という発表をしたことで、ビットコインが暴落したことがあります。
53量子ビット(量子コンピュータでの情報の基本単位)の量子コンピュータの性能を示すための実験を行い、高い確率で正しい結果を得たという発表だったのですが、これによって「すべての暗号が解読されてしまい、ビットコインなどの仮想通貨が無価値になるではないか」という不安が広がり、ビットコインが暴落したのです。

量子コンピュータは、従来のコンピュータとは計算の仕組みが違うので、素因数分解のような複雑な問題を高速で解くことができます。素因数分解は、桁数が大きくなると爆発的に難しくなるため、暗号化に使われているんです。

とはいえ、素因数分解を高速に解くアルゴリズムプログラムは非常に複雑なので、今実現しているレベルの量子コンピュータでは無理です。
今の量子ビット数は100や200ですが、最先端の研究では「素因数分解を解くには100万量子ビット必要」と言われています

――そんなに必要なんですね!

藤井:いずれ100万量子ビットも実現できるでしょうが、あと10年はかかりそうです。一昔前は「あと50年かかる」と言われていたのですが、進歩のスピードがかなり速いので、最近、僕は「あと10年」と言っています。

量子コンピュータにも解けない暗号

――あと10年は大丈夫だけれど、いずれは暗号を解かれてしまうのでしょうか?

藤井:10年後に解かれてしまったら困りますよね。
たとえば国家間の秘密の通信が解読されて「10年前にこんなやりとりをしていた」などと暴露されたら大変です。暗号は未来にも安全であり続けなければなりません

ですから、量子コンピュータにも解けない安全な暗号に移行する取り組みはだいぶ前から行われています。
量子コンピュータが実用化されると今の暗号システムは脆弱になってしまうというのは昔から言われていることで、織り込み済みなんですよ。
すでに米国立標準技術研究所(NIST)を中心に、量子コンピュータでも解読が難しい「耐量子暗号」の標準方式が定められています。

実は、いま「耐量子暗号」として生き残っている暗号方式は、昔、量子アルゴリズムの研究をしていた人が、素因数分解と同じように量子コンピュータなら解けるのではないかと思ってトライしたけれど解けずに断念した問題がもとになっています。
量子コンピュータで解こうと思って解けなかった問題というのも、重要な意味を持つわけです。

――量子コンピュータでも解けない問題があるのですね。

藤井:コンピュータ科学の世界では、「解ける」ことは示せても、「解けない」ことを示すことは不可能に近いんです。多くの人や天才たちがトライしても解けなかった、というだけです。
そういう意味で「生き残っている」暗号方式なんです。今の耐量子暗号もさらにすごい天才が解き方を見つけて量子コンピュータで解いてしまう可能性もあります。

量子情報処理の知見は、盾でもあり矛でもあると思うんです。
計算能力という矛としての機能だけではなく、耐量子暗号に代表される盾、つまりセキュリティなど情報の質の向上に貢献するのです。

(※この記事は『教養としての量子コンピュータ』を元にした書き下ろしです。)