ダーウィンの『種の起源』は「地動説」と並び人類に知的革命を起こした名著である。しかし、かなり読みにくいため、読み通せる人は数少ない。短時間で読めて、現在からみて正しい・正しくないがわかり、最新の進化学の知見も楽しく解説しながら、『種の起源』が理解できるようになる画期的な本『『種の起源』を読んだふりができる本』が発刊された。本記事では、著者であり、生物学の専門家である更科功氏にインタビューを実施。ダーウィンの魅力や人柄について伺った(取材・構成:小川晶子)。
写真はイメージです。 Photo: Adobe Stock
大金持ちのダーウィン
――『種の起源』を書き、進化論を提唱したチャールズ・ダーウィンの魅力はどんなところにあると思われますか?
更科功氏(以下、更科):一番の魅力は、お金持ちであることです。年を経るほど財産が増えていくという、素晴らしい人です。いやぁ、いいですね(笑)。
ダーウィンのお父さんは医師として成功していただけでなく、運河の建設などに出資する投資家としても成功しており、莫大な資産を蓄えていました。
しかも母方のおじいさんは陶器の有名なメーカー、ウェッジウッドの創立者です。控えめに言ってもチャールズ・ダーウィンは大金持ちでした。
ですから、周りからあまり茶々が入らず、落ち着いて研究ができたんでしょう。
ダーウィンの人物像
——どんな人物だったのでしょうか?
更科:慎重で引っ込み思案のイメージがありますね。というのも、ダーウィンの進化論に関していろいろと論争が起こったのですが、代わりに矢面に立ってくれる人がたくさんいたので、本人はあまり出て行かないんですよ。
トマス・ヘンリー・ハクスリーは「ダーウィンのブルドッグ」と呼ばれるほどで、代わりに戦ってくれていました。
ただ、ダーウィンには図太い面もあったのではないかと思います。 若いときはたいして勉強せず、医学系の講義に興味が持てずに大学もやめちゃっています。
お父さんから見たら怠け者の息子ですよ。しょうがないから田舎で牧師でもやりなさいということでケンブリッジ大学クライスツ・カレッジに入学させられましたが、そこでも真面目にやらないで遊んでいるんです。
親や先生など身近な人たちには嫌味を言われたに違いありません。それでもサボれるんだから面の皮が厚いですよね(笑)。
それに、イギリスの海軍の測量船ビーグル号に乗って世界一周しています。この経験がのちに進化論の形成に大きな影響を与えるわけですが、旅自体はけっこう過酷だと思うんです。
そんなに清潔な環境ではないし、辛いこともたくさんあったのではないかと思います。 今でいう鈍感力のようなものが高かったのではないでしょうか。
だからこそ、いろいろなことがあっても落ち着いて研究を進められたんだと思います。細かいことを気にせず、マイペースにいられたというのかな。
お金があったというのは大きな仕事ができた重要な要素ですが、それだけでは、ああいうふうにはなれませんからね。
進化論の証拠をどうやって集めたか
——『種の起源』を著すにあたって、ダーウィンは証拠となる資料や膨大なデータを集めています。一人ではできないと思いますが、どうやって集めたのでしょうか?
更科:まず、ビーグル号で世界一周する中で、化石や各地の動植物などを収集しました。それによって博物学者、地質学者としての地位を確立し、名声を得ました。有名人になったんです。
もともと、ビクトリア女王の時代の「ジェントルマン」という階級の人であり、しかも名声を手にしたことで、協力を得られやすくなりました。
ダーウィンは大学や科学者などあちこちに手紙を書いて、標本や情報をもらっているんです。
世界中からと言っては大げさかもしれませんが、少なくともヨーロッパ、アメリカ、それからヨーロッパの植民地からは情報を収集することができました。
それを何十年も続けたのがすごいところです。1〜2年の話ではなく、30年くらい続けて進化論を確立し発表したのです。
立場を利用できたのもありますが、根気があったことが膨大な証拠を集めることができた一番の理由なんじゃないでしょうか。
(本原稿は、『『種の起源』を読んだふりができる本』に関連した書き下ろしです)
1961年、東京都生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。民間企業を経て大学に戻り、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。専門は分子古生物学。武蔵野美術大学教授。『化石の分子生物学 生命進化の謎を解く』(講談社現代新書)で、第29回講談社科学出版賞を受賞。著書に、『爆発的進化論』(新潮新書)、『絶滅の人類史―なぜ「私たち」が生き延びたのか』(NHK出版新書)、『若い読者に贈る美しい生物学講義』(ダイヤモンド社)などがある。



