「正しいか」で自分や他人を裁く「脳内裁判」は不幸のもとです。選ばなかった過去は証明できないため、自己否定に繋がるジャッジは今すぐやめましょう。大切なのは、日々の決断で「自分がその選択に納得しているか」です。たとえ気乗りしない事でも、自分で腑に落ちていればそれは「自分軸」の行動です。脳内裁判を閉廷し、納得できる生き方へシフトしましょう。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局・斎藤順)

【精神科医が教える】自分を責める「脳内裁判」は即中止…幸せな人が持つ“魔法のまな板”とは?Photo: Adobe Stock

ジャッジする癖は不幸のもと

今日のテーマは「脳内裁判は今すぐ中止しましょう」というお話です。頭の中で「誰が悪い」「私が悪い」「あの人が悪い」と、物事を裁くような考え方をする人は、残念ながらあまり幸せになれません。

世の中のほとんどの出来事は、「正しいか、正しくないか」で測れるものではありません。それなのに、何かにつけてジャッジする癖があると、どうしても不幸な方向へと向かってしまいます。

特に、自分の過去の行動について「あの時、私が悪かった」「こうしていればよかった」と、一人で反省会を開いて自分を「有罪」にしてしまうこと。これがまさに「脳内裁判」です。心当たりのある方は、今すぐこの裁判を「キャンセル(閉廷)」にすることをおすすめします。

裁判は「アラ探し」になりがち

ジャッジする癖がある人は、たいていの場合、自分自身を裁く方向へ向かいます。「私が悪かった」「ダメだった」と自分を責めてしまうのです。

よく考えてみてください。裁判とは「有罪かどうか」を決める場所であり、ネガティブな評価を下すシステムです。「あの被告は素晴らしかったから、賞金をあげましょう」なんていう裁判はありませんよね。良くて無罪(お咎めなし)、悪ければペナルティが与えられます。

つまり、脳内裁判を開くということは、「自分の中に悪いところはないか」と、目を皿のようにしてアラ探しをしている状態とも言えるのです。

「正しいか」ではなく「自分が納得しているか」

そもそも、自分に対して「正しいか、正しくないか」を考えること自体がナンセンスです。自己否定に走りやすい人は、「もし、ああしていればもっと良い未来があったはずだ」と考えがちです。しかし、選ばなかった過去の選択肢がどうなっていたかなんて、永遠に証明することはできません。

存在しない「もう一つの人生」を証拠品として提出することは不可能なのです。証明できないことで自分を裁いても意味がありません。考えるべきなのは、正しいかどうかではなく「自分がその選択に納得しているかどうか」です。

自分の気持ちと向き合い、「この選択に納得している」と思えるなら、それは「自分軸」で生きている証拠です。そこに裁判は必要ありません。逆に脳内裁判をやりがちな人は、自分が納得する選択肢を選べていない、つまり自分軸で生きていないということになります。

ちなみに、自分ではなく「親が悪い」「夫・妻が悪い」と他人をジャッジする人もいますが、それも一時的な責任転嫁になるだけで、イライラが募り、結果的に幸せにはなれませんのでやめておきましょう。