本が売れない時代などと言われてずいぶん経ちますが、「X」では毎日膨大なテキストが流れてきます。「note」のユーザー数や記事数は増えているし、文学フリマは活況続き。「読みたい人」は減っているのかもしれないけども、「書きたい人」は増えている。編集者の仕事をしながらそう感じています。
一方、「書きたいのに、書けない」という悩みも非常によく聞きます。これがけっこう深い悩みのようで。書きたいくせに書けない自分何なん、と思ってしまう。何を書けばいいかわからない。くだらないことしか思いつかない。自分の文章ヘタすぎて自己嫌悪……。まあ、理由はともかく、この記事ではそういう時におすすめしたい「行動」について。
文筆家・土門蘭氏の『ほんとうのことを書く練習』という本から、「書けない時にやっていること」について書かれた内容を抜粋・編集して紹介します。(構成・写真/ダイヤモンド社・今野良介)
プロでも書けない時があるらしい
「文章が書けなくなったときは、どうしていますか?」
程度の差はあれ、文章が書けなくなることはある。
というか、毎日ある。
――『ほんとうのことを書く練習』P62より
著者の土門蘭氏は職業文筆家で、「書く」を仕事にしている人だ。書かないと食べていけない人だ。
そんな人なら当然ガンガン書けるだろうと思いきや、毎日書けなくて悩むという。やばいじゃん。
湯水のように言葉が溢れて無尽蔵にスラスラどんどこ書きまくれる人もいるのだろうが、まあ、少数派だろう。大抵の人は書きたいけど、なかなか書けないらしい。
彼女は、そういう時に何をしているのか。
背後にある書棚に手を伸ばして、本を数冊手に取る。
――引用同
え?
「書きたい」のに、「読む」の?
なんで?
ラインナップはその時々で変わるが、通年よく手に取るのは佐野洋子、向田邦子、武田百合子、保坂和志、若林恵、アゴタ・クリストフ、江國香織。
適当にページを開いてパラパラと読む。おもしろい。やっぱりこの人の文章はおもしろいなぁ。嘆息してから本を閉じ、もう一度キーボードに向かう。
そうしたら不思議と、文章が書けるようになっているのだ。
――『ほんとうのことを書く練習』P63より
ほんまかいと思う。いや思った。私はこの本の編集を担当した人間なので、原稿が届いた時に実際そう思った。
まあ、そうだとして、だ。
私がたくさんの著者と付き合っている中でよく聞くのが、「自分が書いている時に他人の書いた本は読まないようにしている」だ。逆である。むしろそういう人の方が多い。
なぜなら「影響されてしまうから」。
自分の思考や文体に、他人のそれが乗り移ってしまう。または、他人の書いた文章が素晴らしくて、それと比較すると自分の文章は拙くて、自分なんかが書かなくてもいいんじゃないかとか思い始めて、ますます書けなくなる、と言う。そっちのほうがわかる気がする。
しかし、土門さんは読む。積極的に読む。
なぜなのか。
無意識に影響を受けているかもしれないが、書く内容や文体は、変わらずいままでの私のままだ。
――引用同
そうなのか。強いな。
というか無意識に影響を受けてもいいと思ってるんだな。
まあ、そうだよな、誰からも何の影響も受けないなんて、原理的にありえないしな。
大胆に、勇敢に、背中を押されるような気持ちになる。
インスパイアされている。
――引用同
インスパイア。
彼らの自由さが私に乗り移り、私も自由に書き出す。
のびのびと踊っている人を見て、自分の体が動いてしまうように。
肩の力が抜け、手がうずうずしてきて、もっと気楽に、もっと楽しく書いちゃおうという気になる。
――引用同
なるほど。プラスしかない、という話に読める。
前提として、書けない時に読む本は何でもいいとは言ってない。土門さんは、「この人は『ほんとうのこと』を書いている」と私が思う著者の本、だと言っている。
「ほんとうのこと」とは何か、については本1冊分必要なのでぜひ『ほんとうのことを書く練習』を読んで欲しいのだが、まあ、大雑把に好きか嫌いかで言えば、好き寄りの本だろう。
何度も読んだ好きな本を読み返す、ということ。
そういう本を読むと、なぜ「もっと気楽に楽しく書いちゃおう」と思えるのか、について、土門さんは続ける。
評価されること、否定されることを知らず、何も恐れていなかったころ。
体で経験し、心で感じたことを、ひたすら素直に表現していたころの自分。
そのころの自分は、ある意味で孤独のはじまりにいたのかもしれない。
まだ他人をよく知らなくて、自分だけで完結していた。自分ひとりでいつまでも遊べていた。
純粋に、ただ書きたくて書いていた。
きっとそれは、初期衝動と呼ばれるものだ。
――『ほんとうのことを書く練習』P64より
なるほど。
書くこと、というか、すべての表現は「返信」だと思っている。
すばらしい音楽を聴いて、この世のものとは思えない絶景を見て、衝撃的な映画を観て、どうしようもなく人を好きになってしまって、いてもたってもいられなくなって何か言いたくなる。書きたくなる。自分も表現したくなる。誰に何を思われるかなど考える余裕すらないほどに。それは、世界への返信である。世界に生まれ落ちて何かに心が動いた私がここにいるのだ、と証明するように。
人も色も匂いもない暗闇の真空の中では、表現したいという欲求など生まれてこないだろう。
土門さんは、その、何かに触れたときの純粋な感動を取り戻そうと言っているのではないか。
書きたいならば、それは「読む」ことによって取り戻せるのだ、と。
初期衝動を呼び起こすために。
――引用同
以上です。
ある日の著者
(本稿は、『ほんとうのことを書く練習 「わたしの言葉」で他者とつながる文章術』の内容を引用して作成した記事です)








