社会に大きな衝撃を与えた「フジテレビ事件」と、それを受けた第三者委員会の調査報告書をきっかけに執筆された『集団浅慮:「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』(古賀史健)。その出版を記念した対談が、ブックファースト新宿店で開催されました。ゲストは、『わたしたちは無痛恋愛がしたい』を連載する漫画家であり、「パブリックスピーカー」「フェミニスト」としても活動する瀧波ユカリ氏。今回より、お二人の対談の模様をダイジェストとして、全3回にわたってお届けします。[構成/ダイヤモンド社 横田大樹]

『集団浅慮』と『わたしたちは無痛恋愛がしたい』

『集団浅慮』の読者を逃さない工夫

古賀史健(以下、古賀):はじめまして、古賀と申します。今日はお集まりいただきましてありがとうございます。今回『集団浅慮』という新刊を発売しまして、書店さんなどで「トークイベントをやりませんか」とお声がけいただくことが増えました。たいてい対談形式のイベントが多く、僕の方から「この方とこのテーマだったら対談したい」とオファーをさせていただくのですが、いま一番お話してみたかったお相手が瀧波さんでしたので、今日はかなって嬉しいです。

瀧波ユカリ(以下、瀧波):瀧波ユカリです。よろしくお願いします。お声がけいただいて驚きました。多分、私たちの読者層ってジャンル的に全然被っていないですよね。会場の方で両方知っていたという方は……あ、4割ぐらいいらっしゃいますね。

 私は古賀さんの『嫌われる勇気』は読んでいました。根がちょっとネガティブがちなタイプなので、たまに自己啓発系の本を買って読んで調子を整えているんです。

瀧波ユカリさん写真瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)
1980年札幌市に生まれ、釧路市で育つ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、2004年に4コマ漫画『臨死!!江古田ちゃん』でデビュー。以降、漫画とエッセイを中心に幅広い創作活動を展開している。東京都在住、一児の母。

古賀:ああ、本当ですか。ありがとうございます。僕も瀧波さんの漫画、『臨死!!江古田ちゃん』や『モトカレマニア』、そして現在連載されている『わたしたちは無痛恋愛がしたい(以下、無痛恋愛)』がもう大好きで、熱心に読んでいます。

 こういう場では司会の方が聞いてくれるとありがたいんですが、今日は自分で聞かないといけないですね(笑)。まず、『集団浅慮』の感想を教えていただいてよろしいですか。

瀧波:そうですね。ターゲットを明確に定めていて、読んでもらうっていうことに対して、すごく意識的に書かれているなって感じましたね。性暴力を大企業全体で隠蔽しようとしたことについて、男性に読ませるためにはどんな切り口で言ったらいいのかって考えたんじゃないかな、と。

 もっと、今まであったようなフェミニズム的な感じに書くことも全然できたと思うんですよね。そのテーマに関心を持った人だけが読む本にもなってもおかしくないのに、ビジネス系の本なのかと思って読んだ人が、最後まで読み切ることができてしまう工夫がされていると思いました。差別やハラスメントという言葉を使っていながら、そういうことを一度も考えたことのない人が読めるように設計されているなと。

古賀:はい、まさにその通りです。

瀧波:で、たまに、ここを読んでほしいなっていうところをシュッと入れてくる。この内容が5ページ書かれてたら本閉じちゃうだろうなっていう部分を1ページだけ入れてくるとか、そういう工夫や構造化がされているなと思いながら読みました。

 この本を男性だったらどう読むのかなと思って、私の男友達3人ぐらいに読んでもらったんです。そうしたら、もともとハラスメントとかミソジニーとかの知識がある人も、そういう部分は読み慣れているけど、組織の中で集団浅慮が起こるっていうことについては考えたことがなかったから、そこはすごく勉強にすごくなったと言っていました。

 それで、女性差別とかの問題についてほとんど情報を得たことのない人からは、知らないことばっかりだったっていうリアクションが来るんですね。その感じが全然違っていて面白かったんです。

古賀:読者層によって明確に反応が分かれる本ですよね。

瀧波:で、共通してるのが、みんな渡してすぐ読んだんですよ、全員。普通、人からこの本を読んで感想聞かせてって言われたら、プレッシャーだし、自分の意見がジャッジされるようで、あまり気のりしないと思うんですけど、みんなすごく早かったんですね。朝の4時ぐらいにメッセンジャーに返信が来てて、もう読んだと。

 1日たたずに読み切らせる仕組みになってるっていうのが、本当にすごいと思いましたね。そういう作り方は結構意識されたんですか。

古賀:そうですね。もともと、『集団浅慮』のベースになったフジテレビの「第三者委員会調査報告書」自体が、ある程度そういう作りになっていたような気がするんですね。

 この第三者委員会が言いたかったことも、「ビジネスにおける女性の人権を、君たちは何だと思っているんだ」ということだったと思うんですが、そこに行くまでにものすごいロジックを積み重ねて、みんなの逃げ道を1個1個塞ぎながら階段を登っていく。登っていった先に、人権尊重という答えが見えてくる構造になっていました。

 それに加えて、実際にこのテーマで本を書こうとしていたとき、周りの男性、特に年上の60代以上の人たちに話すと、「え!」みたいな反応なんですよ。「それ売れるの?」みたいな。だから、こういう人たちにちゃんとわかってもらえるように、最後まで読んでもらえるようにしないといけないという強い思いはありました。

 あとは、タイトルにもなっている「集団浅慮」っていう言葉ですね。この言葉は、性暴力や女性の人権に関心がない人にも必ず響くはずなので、集団浅慮という事象を紐解きながらロジックを積み重ねて、本当に言いたかったことに辿り着く構造ができた気がします。

『集団浅慮』の素地になった『無痛恋愛』

瀧波:『集団浅慮』の198ページに、箇条書きっぽく、染みついた常識を洗い出してほしい。例えばなぜ、という形で列挙していくところがあって。これを読ませるために198ページかけたんだな、と。

染みついた常識を洗い出してほしい。
たとえばなぜ、秘書や受付係は女性ばかりなのか。
打ち合わせの席にお茶を淹れて運ぶのは、女性の仕事と思っていないか。
書類のコピーや電話応対を、女性に任せていないか。
訪問先への手土産を、女性に買いに行かせていないか。
観葉植物の水やりを、郵便物の受取や配布を、女性に任せていないか。
会議の議事録を、女性に押しつけていないか。
飲み会では女性にお酌をさせ、料理を取り分けさせていないか。
若くて容姿端麗な女性を優先して、接待の場に呼んでいないか。
つまり無意識のうちに、「女の仕事」をつくっていないか。
(『集団浅慮』198ページより)

古賀:はい。

瀧波:そういう工夫があるからこそ、読みやすいんですね。ただ、私は自分だったらこの書き方は絶対できないなと思いました。フェミニズムの立場にいる人間からすると、「ここは大前提じゃん。これを受け入れられないのは甘えじゃないか」って思ってしまうから。でも、古賀さんはそのプロセスを理解したうえで、順を追って読者を導いている。私とか、近い立場にいる人にはできない仕事をしてると思ったんですよね。

古賀:なぜステップを踏む必要があるかというと、1990年代に田嶋陽子さんが『TVタックル』とかに出ていた時の光景がすごく頭に残ってるんですね。田嶋さんはずっと正論をおっしゃってるんだけど、周りのおじさんたちはゲラゲラって笑っていて相手にしない。どんなに正論を言われても笑って済ませて、何にも耳に届いてないっていう状況があったじゃないですか。

 いま挙げていただいた、箇条書きのように語っている、組織の中で女性たちが相変わらず置かれている状況っていうのも、「こういう問題があるんだよ」って正面から主張しても、多分「ニヤニヤ」みたいな感じで終わっちゃうんですよ。だから、中高年男性に伝えるにはステップを踏んでいかなければいけないと思いました。

瀧波:なるほど。あと、もうちょっと手前のほう、51ページですね。

人権意識がないと「怒られている」。この、まるで自分が被害者であるかのような認識こそがまさに人権意識の欠如を示しているわけだが
(『集団浅慮』51ページより)

 っていうのがあって。「怒られている」っていうすごくいいキーワードが入ってきたなと思ったんですよね。この自分が被害者であるような認識っていうのが、まさに今日のトークのテーマになっている「なぜ男性が道を誤るのか」いうところに繋がっていると思うんです。

古賀:ありがとうございます。瀧波さんの『無痛恋愛』は、『集団浅慮』を書くにあたっての素地になっています。何年も前から読んでいたので、教えてもらった視点とかがいろいろあるんです。

 そのうちのひとつで、「モラハラ男性が自分の非を指摘されると、いきなり被害者ムーブになる」っていう現象があるじゃないですか。 あれって男性自身が気づくのは構造的に難しいと思うんです。男性だけでは絶対に気づけない。

 セクハラ自体も同じことが言えて、女性が「それで傷ついてるんですよ。それって暴力なんですよ」と声を上げて、男たちはようやく気づくことができる。

 僕自身、そうやって別の目線から言われないと、わからないことがたくさんあるので瀧波さんの『無痛恋愛』から教えてもらったことは多いです。

瀧波:私は結構相手に突きつけていく書き方をするので、腹に力を入れて読める人じゃないと読めないんです。だから古賀さんが、ちょっと「うっ」となっても読み続けられるマジョリティの言葉に変換して書いてくれたのはよかったと思います。

少女漫画・女性漫画のパッケージングの力

古賀:僕の本は男性読者に読ませたくて書いたものですが、瀧波さんの『無痛恋愛』は、対象読者として男女両方を考えているのでしょうか?

瀧波:漫画って掲載される媒体によって、読者がもう決まってるんです。私は女性向けのウェブマガジンなので、女性に向けてっていうことが前提です。もちろん男性も読むけどね、という感じで。

 女性向けの漫画って、これ恋愛ですよって顔をして、すごいことを描いてたりするんですよ。なんでかって言うと、恋愛ものだって見せないと、商業的なベースに載せてもらえないからなんです。

 これはずっと昔からそうで。あとで社会的な話とかもたくさん描いた人たちも、最初は描きたくない少女漫画でデビューして実力をつけたり、スポーツ漫画も頑張ったり。そこから少しずつ言いたいことを作品に入れていったりする、という流れがあるんですよね。

 可愛いキラキラした学園ものね、みたいな感じだと親も買いやすいじゃないですか。それで買って読んだら、中身はドイツのギムナジウムの少年たちの愛情や繊細な心の傷つきを描いていたりとかね。

 なので、少女漫画や女性漫画というパッケージングの中には、先人たちの努力のおかげで、なんでも入るようになってるんです。

 で、ここ10年ぐらいの変化で、編集者も女性がすごく増えてきたし、編集長も女性問題を理解している人が増えたこともあって、やっと女性差別やハラスメント、性暴力というものも入れていけるようになっているというのが今ですね

古賀:なるほど。少女漫画というパッケージの中に、社会性や多様なメッセージが込められてきた歴史があるんですね。

瀧波:だけど、社会問題を描いている漫画って、なんか全部女性向けにぶっこまれているんですよね。社会問題とかマイノリティについて考えることって女の仕事なんですか、みたいな感じがしちゃうんです。だから古賀さんのように、橋渡し的な方はめっちゃ必要だと思います。男の場所に置かれる人の本が。

古賀:その「恋愛のパッケージにくるんで」っていうお話は、僕がこれをビジネス書のパッケージにくるんだ構造と、結構似てるかもしれませんね。

瀧波:そうですね。男性にとって、組織の不都合な真実やハラスメントの情報はノイズでしかないので、パッケージすることが必要なんです。

 でも、男性向けに読んでもらえるようにパッケージする形って、今まであまりなかったと思うんですよ。あったのはたとえば、性暴力の被害者を性的に消費するようなタイトルを使ってニュースを出したりとか。読んでもらいたいって気持ちはわかるけど、それ二次加害してるじゃん!みたいな形でしかなかったんですよね。

 だから、ビジネスっていう切り口で最後まで読ませるというのが、実はすごく難しいことなんじゃないかなと思います。