2025年に社会に大きな衝撃を与えた「フジテレビ事件」とその「第三者委員会調査報告書」をきっかけに執筆された古賀史健氏の新刊、『集団浅慮 「優秀だった男たち」はなぜ道を誤るのか?』。その内容を絶賛するジャーナリスト・浜田敬子氏の推薦により、独立型オンライン報道番組「ポリタスTV」で、編集長の津田大介氏を交えての鼎談が実現しました。そのダイジェスト版を記事として5回にわたり公開する、第2回です。
著者の歩んだ道を「追体験」できる構成
津田大介(以下、津田) では、浜田さんのほうから本自体の感想を。
浜田敬子(以下、浜田) まず全体の感想から言いますと、先ほど古賀さんは「フジテレビの第三者委員会はあれだけの調査報告書をたった2ヵ月でつくった」とおっしゃっていましたけど、私は古賀さんに対して「たった半年でここまでのものを!?」って感じたんです。この『集団浅慮』という本の中で扱っているジェンダーやダイバーシティの問題。これは私たちが長年取材・研究してきたテーマなんですけど、古賀さんはほとんどゼロベースから書き始めて、たった半年でこれだけの本にまとめ上げている。だって、巻末の参考文献だけを見ても、すごい数なんですよね。
津田 もう、このままブックガイドになるくらい充実していますよね。
浜田 そうそう。私自身、「これは読んでなかったな、読んでみようかな」という本があったりして。だから古賀さんがこの短期間で、これだけ調べ切って書いたという事実に、まずはびっくりしました。
それで津田さんもおっしゃったように、古賀さん自身の知識や問題意識が、最終章に向けて積み上がっていくように書かれているわけですよね。この構成が本当に素晴らしくって、きっとジェンダーとかダイバーシティに縁遠かった読者の方々も、古賀さんの学びを追体験するように読んでいけると思うんです。
津田 そのラストに向けて盛り上がっていく感じは、全然違うテーマを扱っているのに、やっぱり『嫌われる勇気』と似た読後感があるんですよね。そこも古賀さんの著者性が出ていて面白いなと思いました。
浜田 実際、これだけの参考文献を読み込んで書くの、大変でした?
古賀 僕の場合、どんな本を書くときでも何十冊とか何百冊の参考文献を当たることになるんですけど、今回あまりにも分野が違うというか、まったく土地勘のないところに手探りでかき分けて感じだったんで、それは大変でしたね。例えばフェミニズムならフェミニズムっていうフィールドの中で、なにが常識でなにが非常識なのか。どれが定説で、どれが異端なのか。そういう話って、何冊かの文献を読んだだけじゃわからないじゃないですか。だからとにかくたくさんの文献に当たって取捨選別をする、という作業が大変だった気がします。
浜田 ちょっと怖くもありました?
古賀 怖いです。
浜田 だって、専門家いっぱいいますもんね。この分野で。
古賀 ただ、さっき浜田さんがおっしゃった「ゼロベースから」っていうのは、まさにライターが書く意義はそこにあると思うんですよね。自分が素人の立場からひとつずつ理解の階段をのぼって、最終的に「わかった」と思える地点にたどり着く。そうやってゼロだった自分がのぼった階段を読者に指し示していけば、きっとのぼってくれるんですよ。
浜田 理解の階段。
古賀 はい。このロジックで、この階段をこうやってのぼっていけばみんな理解できるよね、というか。たとえば僕の場合、もともとジェンダー平等に対する意識は持っていたんですけど、それを倫理的な問題のように考えてたんですね。「男女差別はよくないから正していこう」というような。でも、そういう倫理や正義の話って、フジテレビ経営陣みたいな男性たちには届かないんですよ。「そんな『きれいごと』はいいから、女性管理職を増やして会社は儲かるのか」みたいな。
浜田 そうなんです。いつも「儲かんのか」。
古賀 でも、そこに「集団浅慮」というキーワードを持ち込んで、倫理ではない実利の問題として語っていけば、きっと男性たちも腑に落ちるんじゃないかと。つまり、日本の組織は集団浅慮に陥りやすくて、集団浅慮を避けるためには多様性が必要で、多様性を考えるベースには「ビジネスと人権」の知識が必要で、という理解の階段を上っていけば、みんな納得してくれると思ったんですね。
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組織に一体感(凝集性)を求めることの罠
浜田 私も、最近の企業研修ではフジテレビ問題から入ることが多いですね。ただ、この本を読んでなるほどと気づかされたのは集団浅慮が生まれるメカニズム。私もダイバーシティの重要性について語るとき、その対極にある構成員の「同質性」がいかに危険であるかをお話しするんですね。同質的な集団は、集団浅慮と経路依存症が起こって、異質なものを排除する力が強いので、内部告発や新しいアイデアが握りつぶされるのもその表れだ、というように。同質性のリスクについては、箇条書きのようにケースを一気に話しているんですが、今回古賀さんは「凝集性(ぎょうしゅうせい)」というキーワードを手がかりに、鮮やかな手さばきで集団浅慮のメカニズムを解き明かしていく。この凝集性って言葉は、ダイバーシティの専門家でもあまり使わないものなんです。
津田 社会学よりも経営学で使われる言葉ですよね。
浜田 で、その集団にとどまらせようとする「凝集性」が、ある時から同調圧力になり、拙速な全会一致を求めて集団浅慮に陥ってしまうと。この、個人の能力の総和よりも低いレベルの意思決定をしてしまうメカニズムの解明が組織論としての肝で、私自身、その言語化があまりできてなかったと思いました。ここはどういう風に導き出されたんですか?
古賀 まず、この「集団浅慮」という概念を提唱したのが、アーヴィング・ジャニスという1970年代のアメリカの社会心理学の方なんですね。彼の著書は翻訳もされているんですけど、正直かなり読みづらいんです。おそらく論文的に書かれたものなので。その中で集団浅慮の直接的な要因としては「全会一致を求める組織」の問題が描かれているんですけど、その前提条件としてジャニスが挙げているのが「凝集性」だったんです。
ただし凝集性って、津田さんご指摘のように経営学の中で語られる言葉で、経営者にしろ管理職にしろ、いかにして組織の凝集性を高めていくかに腐心しているわけですよ。
浜田 一体感を高めていく、みたいなね。
古賀 一体感だったり、愛社精神だったり、仲の良さだったり、もしかしたら「やりがい」もそこに含まれるのかもしれない。とにかく凝集性は、高めれば高めるほどいいんだっていうのが経営学の中での真っ当な意見なんですけど、それが行き過ぎると集団浅慮になる。特に終身雇用がベースの日本企業だと、凝集性が強みにも弱みにもなるんですよね。
浜田 ここのメカニズムはね、私にはすごく衝撃的でした。まさに日本社会全体の問題で、フジテレビに限った話じゃない。一方で企業というものは、ある種の目的に向かってみんながまとまるような方向性を示さなきゃいけないわけですよね。会社として、それを示すことは一定程度必要だと思うんですけど、凝集性の罠に陥らないためにはなにが必要だと思います?
古賀 凝集性を高めること自体はいいと思うんです。危険なのは、凝集性を高める過程の中で、同質性の高い社員ばかりになることなんですよね。だから経営層に求められるのは、いかにして同質性をバラしていくか。組織の多様性を担保していくか。そうしないと自分に都合の悪い声も届かなくなるし、多角的な判断ができないまま集団浅慮に突き進んでいくんだと思います。
ポリタス編集長/ポリタスTVキャスター
メディアとジャーナリズム、テクノロジーと社会、表現の自由とネット上の人権侵害、地域課題解決と行政の文化事業、著作権とコンテンツビジネスなどを専門分野として執筆・取材活動を行う。著書多数。
ジャーナリスト。前Business Insider Japan統括編集長。 元アエラ編集長
著書に『男性中心企業の終焉』など。「羽鳥慎一モーニングショー」「サンデーモーニング」でコメンテーターも務める。




