私は不思議でなりませんでした。大地主の家主さんに対してやっかみもあって、ろくに挨拶(あいさつ)もしないような、褒められた態度ではありませんでしたから。
ですが、家主さんは私の「働きぶり」をじっと見ていてくれたのです。
「一生懸命やるのは間違いない。私の目に狂いはない」とまで言ってくれたのです。
後にあるテレビ番組でその家主さんとご一緒する機会があったのですが、そのとき、家主さんはこう言っていました。「彼(神田)だったら、きっとやってくれると思った」と。
これは私にとって「運」以外の何物でもありません。しかし、もし私が店でいい加減に働いていたら、この運は絶対に訪れなかったでしょう。誰かが見てくれている。一生懸命、夢中になって働くことが、最初の運を引き寄せたのだと、私は思っています。
独立したいはずの兄弟が
会社に残ってくれた理由
創業後も「運」に助けられた場面はありました。最大の運は、私の弟(町田功氏)と義理の弟(高橋均氏)が、独立せずに会社に残ってくれたことです。これがなければ、今の日高屋は絶対にありません。断言できます。
私一人では、せいぜい1軒か2軒の店を持つだけで終わっていたでしょう。
当時、私が大宮で店を始めて、3軒ぐらいになった頃です。当時のラーメン屋の世界というのは、5年も修業したら親方の元を離れて、独立して自分の店を持つのが当たり前の時代でした。
当然、弟たちも「そろそろ独立したい」と言ってきた。私は弱りました。しかし、私は「3人バラバラになるのも人生だけど、力を合わせれば10軒だって持てるかもしれない。一緒にやってみないか」と説得したのです。
それでふたりが残ってくれたから、私は銀行回りや出店という「外」の仕事に集中でき、弟が工場(セントラルキッチン)を、義理の弟が現場の営業部長をと、見事な役割分担ができたのです。
それで、後になってふたりに聞いたのです。「あのとき、なんで独立しないで残ってくれたんだ?」と。







