「戦略的根回し」による「場の合意形成」の手順は、相手を力で動かすのではなく、「流れを生み出す」ことに重点を置いている京都は現代における「日本らしさの縮図」。この「オモテのたてまえ」「ウラの本音」というスタイルは、多文化・多様性が強まる時代において、あちこちに散見される(写真はイメージです) Photo:PIXTA

京都人はなぜ「本音」と「たてまえ」の使い分けがうまいのか?それは「場」を見極めて「流れ」をつくるためだった! 新刊『京都人が教える ずるいけどうまい合意の技術』(青春出版社刊)から、抜粋して紹介します。

たてまえで柔らかく包み、裏で動かす

 前回の記事では、京都人らしい「たてまえ」の使い方を解説しました。しかしながら、「たてまえ」と「本音」を使い分けるだけで万事うまくいくかといえば、そうとは限りません。

 いえ、むしろ「場」という観点に立たず、個別の対話で作り上げる信頼と共感は、良好な人間関係のはじまりにすぎません。

「ムラ社会」では「外部に対して慎重になる」「内部で足並みをそろえる」ことが共同体の特徴なのですが、これは言い換えれば、対話相手さえも、その個人の考えや価値観とは別に、その共同体、つまり「場」の背景があるということです。

 会社であれば会社としての意思や目的、サークルならサークルとしての文化、SNSであれば相手のフォロワーやコミュニティのノリや圧力が存在します。

 たとえば地域の協議会に「外部の人(よそさん)」が何かお願いをしに来たとします。「大人数の場(たてまえ)」では誰も反対意見を口にしません。

 ですが協議会外の場面(本音)では、個々が協議会内で影響力のある人に対して「本当はね、こうなってほしいと思ってるんやけど」と本音を寄せています。

 これだけ聞くと「陰口」や「二枚舌」のように思うかもしれませんが、実際は「外部に慎重」に接して、衝突を起こさず「内部の足並みをそろえる」ための知恵です。

 京都では「感情的対立」や「認知的対立」が「内部」に広がると関係が壊れるので、まず少人数で意見を整えたうえで、「大人数の場(たてまえ)」に持ち込むのが定石です。