「自らの果たすべき貢献を考えることが、知識から行動への起点となる。問題は、何に貢献したいかではない。何に貢献せよと言われたかでもない。何に貢献すべきかである」(『明日を支配するもの』)
ドラッカーは、このようなことが問題になるようになったこと自体が初めてのことだという。長いあいだ、貢献すべきことは、自分以外のなにかによって決められていた。自ら考えることや悩むことはなかった。農民は土地と季節で決められていた。職人は仕事で決められていた。家事使用人はご主人の意向で決められていた。
ところが、知識労働者が仕事の主役となるや、彼らに何を貢献させるかが重大な問題になった。そこで、人事部が組織され、それを考えることになった。
しかし、人事部全盛の時代は、驚くほど短かった。いかなる手法を開発しようとも、人事部なる世話役がやり切れることではないことが明らかになった。そこで早くも1960年代には、知識労働者の場合、何を貢献するかは自分で考えよということになった。好きなことをさせることが、最も進んだ方法とされた。
もちろん、好きなことをさせてもらうことによって、成果を上げ、併せて自己実現したという者はそれほど多くはなかった。
何を貢献するかを本人に考えさせることは正しかった。だが考えるべきは、何をしたいかではなかった。自らの貢献は何でなければならないか、だった。
世界最強の大国・米国の大統領さえ、したいことではなく、しなければならないことをしなければならない。
トルーマン大統領は、ルーズベルト大統領のあと、国内問題に取り組むつもりだった。しかし、ポツダム会議で旧ソ連のスターリンとやり合った後、戦後の問題は国際関係であることを痛感させられた。そして、大急ぎで外交に力を入れて戦後世界に平和をもたらした。
これに対し、ジョンソン大統領は、ベトナム戦争を抱えつつ、国内問題から離れられなかった。
「自らの果たすべき貢献は何かという問いに答えを出すためには、三つのことを考える必要がある。第一に、状況が求めるものである。第二に、価値ありとするものである。第三に、あげるべき成果である」(『明日を支配するもの』)