Photo:SANKEI
経営の神様とも呼ばれる稲盛和夫は、ビジネスパーソンとして、そして組織を率いるリーダーとして、さまざまな“逆境”を経験している。
「京セラ」創業3年目には、従業員たちから待遇改善を突き付けられた。稲盛は彼らの要求にどう応えたのか。その時、胸に抱いた決意とは。(偉人研究家 真山知幸)
「ブラックな環境」で
一人だけ辞めなかった稲盛和夫
「それでは会社を辞めます。今日限りで辞めます」
のちに京セラの創業者となる稲盛和夫が、そう言い放って会社を辞めたのは、27歳のときのことである。
先日『大失敗にも大不況にも負けなかった社長たちの物語』(彩図社)という本を上梓し、10人の経営者を取り上げたが、中でも逆境の連続だったのが、稲盛だ。
突然の辞職表明に、唖然とする上司の姿を眺めながら、稲盛は自然と紆余曲折あった過去を思い返したことだろう。
稲盛が大学を卒業して入社したのは、京都にあるガラス製造会社。就職活動が思うようにいかず、仕方なく入った会社だった。職場環境は劣悪なもので、同期は次々と辞めていく。
とうとう自分以外の同期が誰もいなくなったときに、稲盛は腹をくくって「置かれた場所で咲く」ことを決意。もはや愚痴をこぼす相手もいない。どうせやるならばと、研究室に寝泊まりして、実験を繰り返すようになる。
すると、だんだんと実験でよい結果が出るようになり、それが評価されることで、また仕事がどんどん好きになる。そんな好循環を生んだらしい。当時の思いをこう振り返っている。







