3月14日土曜日、出発日の朝いつもにも増して入念におしゃれをしていました。(もしかすると今日のホワイトデー、何か期待しているのかな?)と心の中で思っていました。

 結局いつも通り、時間ギリギリに集合場所まで送り届けると、すでにたくさんの生徒さんが見えました。

 私は、いつも通り
 『ともちゃん、ハグは?』と聞きましたが、
「No, thank you, mom!」っと。。。仕方なく
 『気をつけて行ってきてね!』と声をかけ
「はーい」と(今日は、ハグできなかったな。)と思いながら、小走りで集合場所までかけて行く知華を笑顔で見送りました。友達とつまらないことで喧嘩しないかな。忘れ物ないかな。楽しんでおいでねっ、と。

 当たり前のように元気に帰ってくると思っていました。
 まさか、これが最後の会話になるなんて。
 あの後ろ姿が最後の姿だなんて。

 どうにかしてあの時に、時を戻せないだろうか。

 ボートは無理に乗らなくてもいいのよって
 美ら海水族館だけ参加しなさいっと言っておけばよかった。
 ボートってどんなの?って聞けばよかった。
 ハグしてあげていれば、守れたかもしれない。
 最近忙しくてゆっくり話を聞いてあげられていなかったから寂しかったかな...
 あの時きついこと言っちゃった。怒ってるかな。
 ともちゃん、ごめんね、ごめんねっ、守れなくてごめんね
 何度叫んでも、泣いても、もう声も届かない、届けてあげられない。

ランドセルに残されていた知華からの手紙

 小学6年生の5月から通った実家近くの公立小学校の頃は、慣れない日本での学校生活、英語から日本語環境への変化、それに加えて受験勉強と知華にとってはとても大変な年だったと思います。

 今思えば、知華に対して過干渉な日々だったかもしれません。母としての焦りもあり不要な言葉で追い詰めてしまっていた事もありました。研修旅行前も同様、大学受験に向けてプレッシャーをかけてしまっていたと、亡くなってから後悔ばかりの日々でした。

 そんな日々を過ごしていた21日、斎場に展示する遺品を探していたところ、ランドセルの中からまだあまり使っていない自由帳が一冊見つかりました。何も書いていないページが続いた真ん中辺りに娘が書いたと思われる私達に宛てた手紙が見つかりました。おそらく6年生の1月、同志社国際中学の合格を手にしたプチ反抗期の頃に書かれたものでした。主人も私も初めて読む、小6の知華からのお手紙でした。

「ともちゃん、ごめんね、ごめんね…」辺野古ボート事故、知華さん母の慟哭の手記/ランドセルから見つかった手紙に「涙が止まりませんでした」自由帳に書かれていた小6の時の手紙 写真は「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」より

 To my Parents

 It’s been 12 years from when I was a baby. Last year because of Corona virus, I came back to Japan alone, and I think you were very worried about me.Thank you for bringing me to Indonesia. I really wanted to stay in Japan but , now I feel so good that I was able to go to Indonesia.
 This year I suddenly told mom that I want to go to the Japanese school.That time thank you for letting me go.
 Mom? Thank you for helping me when I was getting bullied. I was saved by you. I’m sorry getting angry easy to you mom. But recently I can't be polite. Sorry.
 Dad? Thank you for caring about me when I was alone on Christmas eve…Also thank you for buying chocolates for me. I love it.
 Dad? Mom? Once my school life in Kyoto will start, I will do my best on my studies.I’ll also make many friends! But if I will have some trouble please help me. Thank you ! Love you!