賢いほど幸せになれる――そう思いがちだが、哲学者ショーペンハウアーの見立ては真逆だ。知性が高いほど苦痛は深まり、天才はその極致にいるという。なぜ「考える力」は苦しみを増幅させるのか。
IVEチャン・ウォニョン氏や俳優ハ・ソクジン氏の愛読書と話題となり、韓国で262刷、60万部を超え、「哲学ブーム」の火付け役となった書籍『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』から人生のヒントを探る。

頭脳が秀でた天才であるほど、不幸は増大する

知能が高いほど、苦しみの解像度も上がる

動物は今この瞬間の痛みや恐怖に反応する。
しかし人間は、過去を悔やみ、未来を恐れ、起きてもいないことを苦しむことができる。
これは知性があるがゆえの能力だ。

ショーペンハウアーはここに着目した。
認識が明確になるほど、苦痛も明確になる。
知能の発達は、苦しみの感度を上げることと表裏一体なのだ。

天才が最も多くの苦痛を経験する、という逆説

ショーペンハウアーは、知能が発達した高等生物であるほど、認識が明確になるため、苦痛が増大すると考えた。
したがって、この世で人間が最も多くの苦痛を感じ、さらに人間のなかでも天才が最も多くの苦痛を経験する。頭脳が秀でた天才であるほど、不幸が増大するのだ。精神的な才能が図抜けた者は神経の機能が活発なため、苦痛に対する感受性も敏感であるからだ。感情の変化や起伏が大きいため不快感も強まり、「心の平穏」を得られないのである。

この視点は、天才と呼ばれた人々の生涯を振り返るとき、奇妙なほど符合する。
深く考えられる人ほど、世界の矛盾や理不尽を鋭く感じ取る。
他者が気にも留めないことに傷つき、感情の振れ幅が大きいがゆえに消耗する。

これは天才だけの話ではない。
「考えすぎてしまう」「傷つきやすい」と感じている人は、感受性が豊かであるがゆえに苦しんでいるのかもしれない。
それは弱さではなく、知性と感性の高さの裏返しでもある。

「心の平穏」は、鈍感になることではない

ショーペンハウアーが言う「心の平穏」とは、
感受性を消すことでも、考えることをやめることでもない。
感じる力を持ちながら、それに飲み込まれない距離をとることだ。

苦痛に敏感であることを「欠点」と捉えるのをやめ、
そういう性質を持った自分として受け入れることが、平穏への入口になる。
振れ幅の大きな感情は、抑え込もうとするほど反発する。
ただ、そこにあるものとして眺めることが、最初の一歩だ。

「考えすぎてしまう」と感じたとき、それを弱さではなく感性の豊かさとして捉え直すことだけでいい。

(本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)