経営の通説が全ての会社に
当てはまるとは限らない

 このやり取りはその後、一種、伝説化されることになるのですが、皆さんがガースナーの立場であれば、どのように答えるでしょうか?

 ガースナーは、この質問に対して、

《There’s been a lot of speculation as to when I’m going to deliver a vision of IBM…and what I’d like to say to all of you is that the last thing IBM needs right now is a vision.》(私がいつIBMのビジョンを打ち出すのか、について多くの憶測が飛び交っていますが、いま皆さんにお伝えしたいのは「現時点のIBMにビジョンなど必要ない」ということです)

 つくづく「プロ経営者の言葉だ」と思わせられます。

 世間には経営にまつわる多くの通説がまかり通っています。それらは例えば「DXは避けて通れない」「心理的安全性が大事」「いまこそパーパスが必要だ」といったものですが、中でも「優れたリーダーはビジョンを示す」というのは、最も世間にまかり通っている「経営にまつわる通説」の一つだと言えるでしょう。

 だからこそ、この記者も、短期の緊急施策の説明に終始したガースナーの発表内容に対して「ビジョンはどうした?」と食ってかかったのです。

 しかし本来、個社の状況は千差万別であり、これらの通説が真に有効なのかどうかは、個社別のコンテキストに応じて判断されるべきものです。

 ガースナーはそれまで複数の企業で経営職を担い、結果を残してきたプロ経営者であり、徹底したリアリストでした。当時のIBMは人間で言えば集中治療室に入っていくつもの手術を同時進行で受けている重体の患者のようなものですから、「まずは集中治療室から出る」ことが短期的に最も優先される目標であり、長期的なビジョンなどを議論することに経営資源を傾斜するべきではない、というのがガースナーの考え方だったのです。

ヒアリングで見えてきた
IBM再生への道

 結果的に、これらの緊急施策によって業績は急回復し、それまで3年連続で巨額の最終赤字を計上していたIBMは、一転、1994年には再び利益を計上することに成功します。