「日記なんて書いて何になるの?」
SNSが当たり前になった今、自分だけのために文章を書く時間は無駄に思えます。しかし、人に見せることを前提にした文章ばかり書くことには、ある「落とし穴」があります。書籍『ほんとうのことを書く練習』から、誰にも見せない文を書く意味を紹介します。(構成・写真/ダイヤモンド社書籍編集局・今野良介)

わたしは誰?

SNSに投稿するとき、私たちは無意識のうちに読者を想定している。

この内容で大丈夫か。
変に思われないだろうか。
誰かを傷つけないだろうか。
もっと面白い書き方があるのではないか。

そうやって言葉を選ぶ。

もちろん悪いことではない。人と関わる以上、相手を意識するのは自然なことだ。

しかし、その状態が長く続くと、自分でも気づかない変化が起きる。

それは、「人に伝わる言葉」を考えるあまり、「自分がほんとうに思っていること」を考えなくなることだ。

『ほんとうのことを書く練習』で著者は、誰にも見せない文章を書くことを勧めている。

文章力を鍛えるためだけではない。もっと根本的な理由がある。著者はこう書いている。

誰にも読ませない文章を書くことは、自分との間に信頼関係を築くことだ。
――『ほんとうのことを書く練習』より

これは少し意外な言葉かもしれない。

多くの人は、自分のことは自分が一番わかっていると思っている。

しかし本当にそうだろうか。悲しい。悔しい。腹が立つ。寂しい。

そんな感情が湧いても、「こんなことで落ち込むべきじゃない」「気にしすぎだ」と片づけてしまうことはないだろうか。

私たちは他人の話は聞こうとする。しかし、自分の話は案外聞いていない。

日記の役割は、自分を立派に見せることではない。前向きになることでもない。ただ、「いま自分は何を感じているのか」を確認することだ。

うまく書く必要もない。結論もいらない。誰かに読まれる心配もない。だからこそ本音が出てくる。

SNSは「他人とつながるため」の文章だ。日記は、「自分とつながるため」の文章である。

自分が何をしたいのかわからない。なぜこんなに疲れているのかわからない。

そんな感覚があるなら、少しスマホから離れて散歩でもして、ノートに向かおう。

「日記ブームとか意味不明だしスマホのスクリーンタイムなら余裕で10時間超えてますけど何か?」→「いやそれもいいんですけど、あなた自分が本当は何を考えているかわからなくなってきてませんか」川沿いの散歩は最高

自己理解は、誰にも見せない1行から始まる。

(本稿は、『ほんとうのことを書く練習 「わたしの言葉」で他者とつながる文章術』の内容を引用して作成した記事です)