バズるは正義。いいものを書いても描いても作っても、人に知られなければ意味がない。どうすればバズるか、バズったらもう一度バズるにはどうすればよいかと、多くのクリエイターが悩んでいます。
作家で元「チャットモンチー」ドラマー高橋久美子さんは、その著作『いい音がする文章』の中で、メジャーロックバンドで活動した後に作家になった過去を振り返りながら、バズりを狙うことの陰と、「表現を続けていくこと」について書いています。その部分を、抜粋して紹介します。(構成/ダイヤモンド社 今野良介)
「失敗するのが怖い」
先日、大学生と対談をする機会があったのだが、「バンドをしているけれど評価が怖くて歌詞が書けない」と言う子がいた。
YouTubeに投稿しても再生数が伸びなかったらどうしようと、作る前から不安になるそうだ。
「いいね」がつかなかったら。
誹謗中傷が来たら。
どんな言葉がバズるのか。
「日々、何百、何千の身近な才能を画面で見ていると、失敗するのが怖い」と言った。
Photo: Adobe Stock
私だって失敗はしたくない。でも何をもって失敗というのだろう。少なくとも「いいね」の数が基準ではない。そんなもんは、時代が追いついてないだけだと言いたい。
私がバンドをはじめた学生時代はネットが主流ではなかったので、目の前のお客さんの反応がすべてだった。
少ない日はライブハウスに2、3人しかお客さんが見に来てなかったけど、失敗だとは思わなかった。
自分自身とても楽しかったし、いい曲だと思っていたからだ。どちらかと言うと、デビューして関わる人の人数が増えてからのほうが、じわじわとその重責を感じるようになった。
身一つの学生時代は好きなことだけやっていた。たとえデビューできてなかったとしても、私たちは失敗だとは思わなかったはずだ。私たちが素晴らしいと思って鳴らせば、それがすべてだったから。
コロナ禍で時代が変わったと言うけれど、もっと前から、スマホができてから、じわじわと時代の流れは変わっていたんよ。
確かに、バズってたくさんの共感を得られるのは嬉しいかもしれない。
それが自分の言葉を、自分のリズムを表現した結果ならばいいけれど、バズることだけを目的にした表現に満たされることは、やがて虚しくなるのではないか。泉の根源が自分ではないからだ。
自分が素敵だな、かっこいいな、悲しいなと感じたら、それは自分だけのものだった。
そっと日記に書くだけで十分だったはずだ。自分らしい文章で、自分だけに向けて。




