【大人の教養】十字軍の裏で何が起きていたのか…「巡礼路」が巨大ビジネスに化けた意外な理由とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
本連載では、海峡・山脈・河川などの地形を手がかりに、世界史を読み直していく。著者は代々木ゼミナールの世界史講師で、「地図の鬼」と呼ばれる伊藤敏氏。オリジナル地図を通じて、ホルムズ海峡やシルクロードなどの歴史的背景を立体的に理解でき、歴史と地理を同時に味わうことができる。本稿は、伊藤氏の近刊『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものだ。

【大人の教養】十字軍の裏で起きていたこと…「巡礼路」が巨大ビジネスに化けた意外な理由とは?Photo: Adobe Stock

十字軍の裏側…「巡礼路」が巨大ビジネスに化けた理由とは?

 十字軍は、聖地エルサレムの奪回だけでなく、中世ヨーロッパにおける「異教徒との戦い」全般を指す運動でした。この考え方を神学的に支えたのが、12世紀の神学者クレールヴォーのベルナルドゥスです。彼は聖書の言葉を根拠に、教会の敵に対する武力行使を正当化し、もともと「巡礼」と結びついていた十字軍を戦争へと変えていきました。

 第1回十字軍は、11世紀に高まった巡礼熱の延長線上にありました。当時、ローマ、サンティアゴ・デ・コンポステラ、エルサレムは三大巡礼地でしたが、エルサレムやローマへの巡礼が難しくなるなか、使徒ヤコブの墓があるとされたサンティアゴが比較的安全な巡礼地として重要性を増していきます。

 イベリア半島では、イスラーム勢力に対するレコンキスタが進むなか、聖ヤコブがキリスト教徒の守護聖人として崇敬されました。これにともない、サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼路も整備され、11世紀にはピレネー山脈を越えて各地と結ばれます。巡礼路には宿場も設けられ、南フランスとイベリア北部を結ぶ人の往来が活発化し、12世紀には年間50万人もの巡礼者が訪れたとされています。

巡礼路から交易路へ

 巡礼の活発化は、中世ヨーロッパに活況をもたらします。各地で巡礼路が整備されることで、巡礼者のための小教会や宿場が並び立つようになり、これはラテン語でホスピティウムhospitium(「歓待、宿」の意)と呼ばれ、これは病院を意味する英語hospitalにつながる語群の一部となりました。

 人の往来が活発になると、宿場や都市を結ぶ交易路に発展し、11世紀ごろから行商人などがヨーロッパ各地を渡り歩くようになります。地方分権、すなわち領主による地方支配の集合体(封建社会)であった中世ヨーロッパでは、概して公権力による陸上交通の整備が進みませんでした。

 初期の中世ヨーロッパ諸国は荘園(領主の排他的な私有地)の集合体であり、国王といえども領主の一人(あるいは代表者)に過ぎず、各地の領主は不輸・不入権(インムニテート)と呼ばれる、国王を含む他の領主による徴税や干渉を拒否する権限を有していました。

 また、荘園は農村共同体を基盤とした自給自足型の経済圏であったため、荘園内はともかく国家規模での交通整備がなかなか進まなかったのです。

 しかし、巡礼がヨーロッパで活発になることを契機に、ヨーロッパ全土に跨る陸上交通が整備されることになったのです。下図を見てください。

【大人の教養】十字軍の裏で起きていたこと…「巡礼路」が巨大ビジネスに化けた意外な理由とは?出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 11世紀より中世ヨーロッパでは商業が活発になりますが、巡礼路は交易路としても機能し、同時に遠隔地を結ぶ商業ルートの確立にも、多大な貢献をなしたのです。この遠隔地を結ぶ商業ルートは、11世紀末期に始まる十字軍遠征によって確固たるものとなり、13世紀より中世ヨーロッパでは広域を結ぶ商業圏が形成されることになるのです。

(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)