【世界史ミステリー】なぜポルトガルは遠く離れたホルムズ島を奪ったのか? 海上覇権を変えた要衝
ホルムズ海峡は、いまも世界のエネルギー輸送を左右する「海の大動脈」として知られています。しかし、この海峡を押さえる小さなホルムズ島が、世界列強の争奪戦の舞台だったことはあまり知られていません。なぜポルトガルは本国から遠く離れたこの島を占領したのでしょうか。古代から続く交易の歴史をたどりながら、ホルムズ島が世界史の転換点となった理由をひも解きます。

【世界史ミステリー】なぜポルトガルは遠く離れたホルムズ島を奪ったのか? 海上覇権を変えた要衝Photo: Adobe Stock

ホルムズ海峡の歴史をひも解く

 ホルムズ海峡は、古代から中東とインドを結ぶ重要な海上交通路でした。前2700年頃のシュメール人の記録には、現在のバーレーンとされる「ディルムン」やインダス文明を指す「メルッハ」が登場し、ペルシア湾を通じた交易が早くから行われていたことがわかります。

 ディルムン衰退後はアラビアのゲラ、さらにラフム朝が交易の結節点となり、7世紀以降はイスラーム勢力のもとでムスリム商人が交易を担いました。バスラは港湾都市として発展しましたが、ザンジュの反乱、モンゴル来襲、ティムールの侵攻により、イラク南部とバグダードは荒廃します。

 その後、注目を集めたのがホルムズ島でした。小さな島ながら海峡の要衝に位置し、11世紀以降、オマーン系移住者が建てたホルムズ王国の中心となります。王国は当初セルジューク朝系勢力に従属し、のちにモンゴル系イル・ハン国の影響下で自立を進めました。13世紀にはペルシア湾両岸やアラビア海沿岸に支配を広げ、国際商業の中心として繁栄します。1301年には新市街が築かれ、15世紀には明の鄭和艦隊も寄港し、その繁栄を記録しました。

なぜ遠く離れたポルトガルが進出してきたのか?

 しかし、ホルムズ王国は16世紀初頭にその繁栄に終わりを告げます。15世紀よりアジア進出を進めるポルトガルが、1507年にホルムズ島を占領したのです。

 当時のインド洋はムスリム商人によって実質的に交易が支配されており、ポルトガルはこのムスリム商人の通商ネットワークに割り込むための拠点を必要としていたのです。

 ポルトガルはホルムズ島に要塞を築きますが、このときは慣れない気候や水不足から工事が難航し、要塞は未完成のまま撤退に追い込まれます。1515年にポルトガルは再度ホルムズ島を占領し、まもなくポルトガルはホルムズ王国の支配下に置かれていたオマーン海岸の諸都市も征服することになります。1550年にホルムズ島の城塞は大改修が施され、火砲を用いた戦闘に、より適応したものに生まれ変わります。下図を見てください。

【世界史ミステリー】なぜポルトガルは遠く離れたホルムズ島を奪ったのか? 海上覇権を変えた要衝出典:地図で学ぶ「深読み」世界史

 ところが、このポルトガルがホルムズ島に築いた城塞は、17世紀に入ると対岸のイランに成立したサファヴィー朝の脅威に晒されます。サファヴィー朝に全盛期をもたらしたシャー(君主)・アッバース1世(位1588~1629)は、ヨーロッパ人を招いて軍制改革を進めており、そのアッバース1世に仕えたのが、イングランド人のロバート・シャーリー(1581頃~1628)でした。

 アジア進出を目論んでいたイングランドは、ロバート・シャーリーの仲介のもとでサファヴィー朝と同盟し、これにより1622年にホルムズ島の占領を目的とした遠征軍が派遣されます。イングランドも軍船を派遣し、このサファヴィー朝・イングランド合同軍の10週間におよぶ包囲によって、ついにホルムズ島は陥落します。

(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋したものです)