脳の機能が変化し、いろんなことがあいまいになっていくあわい(編集部注/2つのものが重なり交わった空間のこと。筆者は“世界と自分との境界を行き来する経験”と定義している)の中で、この世の中に接続できる心の動きに素朴に寄りそう、そんな感じでしょうか。

うろうろ歩き回る行動には
本人なりの理由がある

 ある認知症の人とその家族のお宅を調査で訪れたときに聞いた話です。ご本人も家族も、調査で訪れた私たちも一緒にこたつを囲んで、ご家族のお話を聞いていました。

 ご本人は、よく外に出かけるそうで、そんな行動を、家族は、おじいちゃんは、“徘徊”ではなく“俳諧”なんだということで、「おじいちゃん、奥の細道に行っているよ」と言っているとのことで、思わずほっこりしました。ユーモアあふれるご家庭です。

 まだパーソンセンタードケアが日本に浸透していなかった時代でしたが、ご家族に愛されて認知症を生きる人も、少なからずいたと思います。

 歩くことについて、認知症の人本人の語りもあります。

 うろうろ歩き回ると、なぜか緊張がほぐれる。その動作によって、今日は何曜日だったか、今何時なのか、自分が何をするつもりだったのか、自分がわからない、という現実から、気をそらすことができる。自分が何をするつもりだったかは思い出せないが、歩き回ることで自分が何かをしているような気持になり、私の中に鬱屈しているエネルギーと、何をするつもりだったのかわからないイライラが発散されるのだ。(クリスティーン・ブライデン『私は私になっていく――認知症とダンスを 改訂新版』馬籠久美子・桧垣陽子訳、クリエイツかもがわ、146ページ)

認知症の人が安心して歩ける
地域をどう実現するか

 認知症の人が、その人生の中で、散歩をどのように体験してきたかは、さまざまと思います。

 ただ、クリスティーンの語りから、私たちは、認知症の人の歩き回ること、すなわち散歩に、心の乱れを整える可能性を見出します。歩くことのリズミカルな刺激が、自分の記憶がつながらなくなるという大きな喪失不安の中でも、ひとすじの光を、見出しうると励まされます。

 少なくとも、「徘徊」といったひと言で片づけられるようなことではない、複雑なそして豊かな心の動きが、そこにあることは、推測していただけるのではないかと思います。

 誤解のないようにお伝えしたいのですが、歩き回って、行方不明になる、事故に巻き込まれるといった深刻な事態も起きています。本人が安心して歩き回れるような、そして散歩中にどこに何しに行っているか忘れても、安全に自宅に帰れる仕組みをどう作るかが大事であるということです。

 そのような、住み慣れた地域で安心して過ごせるために、地域の見守りネットワークや認知症の人へのあたたかいまなざしを持つような地域づくり、共生社会をつくっていくことが提案されています(永田久美子「超・超高齢社会の活路を拓く」『地域ケアリング』2023年8月号、北隆館)。

 どんな人にとっても、散歩を楽しむことができるようなまちづくり、とても大切なことと思います。

 このような安心できる「共生社会」をつくるという理念が、2023年に成立した認知症基本法にもうたわれています。安心していまを大切にしながら誰もが散歩できる社会をめざす、といった感じでしょうか。