それは主義? はたまた事情??
「AかBか」という主義が分かれそうなトピックをあらためて考える、人気エッセイストの古賀及子さんによる書き下ろし新刊より抜粋・再構成して公開します。(構成/ダイヤモンド社書籍編集局)

暮らしの信じ方Photo: Adobe Stock

 それはそれは小さな戸建てに住んでいる。

 中古で購入し引っ越してきた。

 ひとくちに狭小住宅といってもさまざまだというのは、狭小住宅に住んで狭小住宅へのまなざしの精度の高い者でないと、なかなかわからないかもしれない。

 いわゆるペンシルハウスというやつ、都会の住宅街で見かける、きゅっと細く三棟とか四棟とか並んで建つような住宅のことを、私は狭小だとは思わない。そういった家は一般的に一階に駐車スペースがあり、敷地も十坪を超えるように見えるからだ。

 私の家の敷地はそれよりずっと狭い。
 もちろん駐車場を作る余裕はなく、自転車も家族全員分の三台がぎりぎり建物の前の隙間に停まりきらず、玄関の前をはみ出した一台の後輪が常時ふさいでいる(玄関から入るときはどかす)。

購入に後悔したことは一度もない

 もし小さい家に住んでいる者が集まって、その狭さを競うように比べだすとまだまだ序の口かもしれないけれど、なかなか頑張っている方ではないかと思う。

 延べ床面積が条件に達さないため、購入時は普通の住宅ローンが組めなかった。セカンドハウスローンという、書斎などとして別邸を買う人が組むのに使うらしいローンを使った。住宅ローン減税も、同じ理由から対象外で受けられなかった。

 そんなに狭くていいのかと、思う向きもあるかもしれない。実家の両親が最初に来たときはさすがに驚いたようだった。それでもトイレと風呂は別だし、台所も二口のコンロしか置けないけれどそれなりに調理可能なスペースがある。

 中高生の子どもふたりと私の三人暮らしで、狭すぎてどうにもならないと思ったことはない。プライバシーも、それなりに確保できている。

 そういったわけで暮らして暮らして、購入に後悔したことは一度もない。私はむしろ大いに気に入って、惚れ込んで、この家が好きで仕方がない。

 どこが好きかというと、まさに狭いところだ。

 ふつうの住宅ローンが使えなくても、住宅ローン減税が受けられなくても、それでも買ったのはそういうわけだ。むしろ狭いところがよかった。

「狭いところが落ち着く」の延長線上

 狭いところが落ち着く、とはよく聞く。

 嫌なことがあったときに、クローゼットの隅にしゃがむ時間があったとか、何か欲しいものができたら風呂場の脱衣所の隅っこにしばらく正座してお祈りしていたとか、未就学児時代のかわいらしいエピソードはこれまでいろいろ聞いてきたし、大人になってもそういう気持ちが続いている人は多いんじゃないか。

 私の狭さへの思いもおそらく、その延長線上にある。

 実利も多いと思っている。狭い方が、何しろ掃除が楽だ。広ければ広いほど、そのぶん掃除する面積が増える。

 それに狭い方が、家全体を把握しやすい。何がどこにあるかわかりやすいし、余計なものが増えなくて身軽だ。私にとって、家が広いことは、手に負えなさそのものなのだと思う。持て余す。

 それにどうだろう、広い家は、ちょっと怖くないですか。

 誰かがいるかもしれない、と思う。使っていない部屋に誰かがいたとして、私はそれに気づけるだろうか。きっと気づかない。住まわせてしまう。

 普段からスピリチュアリティとは離れた思想で思考している自信はあるけれど、それにしても、そこに誰かいるかもしれない不安は、一度よぎるといつまでもつきまとう。がらっと開けて、ひゃっとなる。