あんなにがんばったのに、報われない。これだけ尽くしたのに、相手は変わってくれない。やった分だけ見返りがあるはずなのに、なぜか空回りする。そんなとき、「自分の努力が足りないんだ」と、さらに自分を追い込んでいませんか。アパレル史上最年少で上場した株式会社yutori代表・片石貴展氏が、その空回りの正体を解き明かします。(構成:ダイヤモンド社書籍編集局/淡路勇介)

自分の言葉で話せるようになりましょう。Photo: Adobe Stock

がんばっているのに、なぜ空回りするのか

だれかに尽くす。仕事に打ち込む。期待に応えようとする。

それ自体は、悪いことではない。むしろ美徳とされる。
問題は、その先だ。

「これだけやったんだから、報われるはずだ」
「自分の指導次第で、あの人は変わるはずだ」
「こんなにがんばったんだから、認められるはずだ」

この「~のはずだ」が出てきた瞬間、人は、あるものにしがみつき始めている。

では、その「あるもの」とは、何か。

じつは2500年前、ブッダがその正体を言い当てている。
人を苦しめるのは出来事そのものではなく、それに「こうあってほしい」としがみつく心。
ブッダはそれを、“執着”と呼んだ。
手に入れたい、手放したくない。その“渇き”こそが、苦しみを生む。

「こんなに苦労してがんばっているのだから、幸せになれるはず」
その思いもまた、自分を縛る執着である。

――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より

執着とは、「こうあるべきだ」という思い込みに、しがみついている状態のことだ。
そして、その「べき」が向いている先は、たいてい自分ではない。
他人の評価、相手の反応、出来事の結果。どれも、自分にはコントロールできないものばかりだ。

努力しているつもりで、じつは、変えられないものにしがみついている。だから、空回りする。
『自分の言葉で話せるようになりましょう。』の著者である片石貴展氏も、かつてそうだったという。

5人家族の長男として、「自分がいちばん価値を出さなければ認められない」という思いを、心の底に抱えていた。一見、自分のためにがんばっているように見える。だが、その目的は「他人に認められること」だった。意識は、ずっと外に向いていた。

大学時代、アカペラグループのリーダーだったとき、その執着が空回りする。「自分がいちばん価値を出さなければ」とワンマンになり、メンバーに嫌われた。仕事を任せられない。任せても信じきれず、途中で取り上げて、結局自分でやってしまう。

その結果、メンバーの意欲も才能も奪われ、チームの熱は冷めていった。

よかれと思ってがんばるほど、まわりが離れていく。コントロールできない他人を、コントロールしようとしていたからだ。

では、どうすればいいのか。

手放すことだ。正確には、コントロールできるものと、できないものを、分ける。相手の評価も、結果も、他人の心も、自分には変えられない。変えられるのは、自分がどう動くか、それだけだ。

著者は、それをサーファーにたとえる。押し寄せる波を、自分の力で変えることはできない。できるのは、その波にどう乗るかを選ぶことだけだ。

波は変えられないが、自分の乗り方は変えられる。
――『自分の言葉で話せるようになりましょう。』より

「報われるはず」を手放したとき、人ははじめて、空回りから降りられる。

がんばりが足りないのではない。
がんばる矛先が、自分では変えられないものに向いているだけだ。

執着を手放すとは、努力をやめることではない。
変えられないものへの「べき」を、そっと下ろすことである。

(本記事は『自分の言葉で話せるようになりましょう。』をもとに作成しました)