ルネサンスの名画を彩る、深く鮮やかな青。その原料が、遠くアフガニスタンの山岳地帯で採れた「青い宝石」ラピスラズリだったことをご存じだろうか。古代メソポタミアやエジプトへ運ばれ、やがてヴェネツィアを経てヨーロッパへ。「海を越えたもの」を意味するウルトラマリンとなり、フェルメールをも魅了した。その青は、交易によって文明と文明を結んだのである。本稿では、名画の裏側に隠れたアフガニスタンと世界史の意外なつながりをひもとく。
Photo: Adobe Stock
ルネサンスの名画とアフガニスタンを結ぶ「青い宝石」とは?
アフガニスタンは国土の大半をヒンドゥークシュ山脈が占める、乾燥した山岳国です。水資源に乏しく居住には厳しい環境ですが、先史時代からユーラシア各地と活発に交流してきました。その大きな理由が、鮮やかな青色を持つ鉱石ラピスラズリの産出です。
ラピスラズリは和名を「瑠璃」といい、青色顔料ウルトラマリンの原料として珍重されました。ウルトラマリンという名称は、ラテン語で「海を越えたもの」を意味し、海上交易によってヨーロッパにもたらされたことに由来します。
前近代の主要な産地は、アフガニスタン北東部のバダフシャーン地方にほぼ限られていました。そのため、各地で発見されるラピス製品は、アフガニスタンとの交易を示す証拠となります。実際、インダス文明やメソポタミア、中央アジア、エジプトのツタンカーメン王墓などからも出土しており、原石はバダフシャーン周辺で加工され、広く輸出されたと考えられています。現在も同地方では採掘が続き、鉱山は政府の統制下にあります。
古代文明を結んだラピス交易
古代ラピス製品の代表的な出土例は、メソポタミアの都市国家ウルで出土したウルのスタンダードで、これは前2600年頃の工芸品であると推定されます。
また、宝飾品としての価値も高く、ミュケナイ(ミケーネ)時代(前1600~前1200頃)のギリシアや、古代ローマにおいても出土品が見られます。顔料としての最古の使用例は、アフガニスタンでのゾロアスター教および仏教の石窟寺院で用いられ、これらは6~7世紀にかけてのものとされます。10世紀以降、ラピスラズリより生成された顔料、すなわちウルトラマリンは、中国、インド、ヨーロッパなどユーラシア各地の絵画に利用されるようになります。
ヴェネツィアとルネサンス絵画の青
なかでも中世ヨーロッパでは、宗教絵画や装飾写本の顔料としてウルトラマリンが頻繁に用いられるようになりました。14~15世紀にはイタリアの都市共和国・ヴェネツィアが地中海東岸諸勢力との貿易(レヴァント貿易)をほぼ占有したことから、アフガニスタン鉱山由来のラピスラズリを独占的に提供することになります。この時期はヨーロッパではルネサンス(古典文化・文芸の復興運動)がイタリアで開花した時期でもあり、多くのルネサンス絵画はヴェネツィアがもたらすアフガニスタン産のラピスラズリから生成されたウルトラマリンで彩られることになります。
フェルメールとラピスラズリの凋落
ウルトラマリンの青は近世の絵画においても重要な位置を占め、この時期にウルトラマリンを多用した画家が、オランダのヨハネス・フェルメール(1632~75)でした。「真珠の耳飾りの少女」「ミルクを注ぐ女」「ヴァージナルの前に立つ女」など、フェルメールの作品には頻繁に青が登場し、これらはラピスラズリを原料とするウルトラマリンがふんだんに使用されたものです。とはいえ、19世紀に入ると合成ウルトラマリンが開発され、青の支配者としてのラピスラズリの地位はついに凋落を迎えることになります。
アフガニスタンは先史時代よりラピスラズリの採掘が行われ、このラピスラズリの青は前近代の世界を魅了したとともに、この地域をユーラシアの各地と結びつけたのです。
(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋・編集したものです)









