古代ローマとアフリカは、地中海をはさんだ別世界だった――。そう思っている人は多いかもしれない。ところが両者は、紅海とアラビア海を結ぶ交易路を通じて、はるか昔から密接につながっていた。そのカギを握ったのが、黄金でも象牙でもなく、宗教儀礼に欠かせない「乳香」である。乳香をめぐる交易は、アクスム王国を繁栄させ、ローマ世界との関係を深め、やがてキリスト教の受容にもつながっていった。香り高い樹脂が古代世界を動かした、意外な歴史をひもとく。
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なぜ「アフリカの角」は古代世界の要衝だったのか
本日は、アフリカの角の歴史についてお話しします。現在のソマリア、エリトリア、ジブチ、エチオピアにあたるこの地域は、ソマリ半島とも呼ばれます。紅海とアラビア海を結ぶ要衝に位置し、スエズ運河を通じて地中海にもつながるため、今日まで海上交通の大動脈となってきました。
この地は、スエズ運河の開通以前からインド洋貿易で重要な役割を担っていました。古代エジプトの文献には、前26世紀ごろから交易相手として「プント」が登場します。現在のエリトリア、ジブチ、ソマリア北部などにあったとされ、エジプトは黄金、黒檀、象牙、乳香などを輸入していました。
前11世紀ごろにプントの記録が途絶えると、代わってアクスム王国が興隆します。現在のエチオピア北部を中心とするこの王国は、紅海貿易によって繁栄しました。1世紀の『エリュトゥラー海案内記』にも、乳香やシナモン、象牙、奴隷などが取引されていたと記されています。
ローマ帝国とアフリカを結んだ「乳香」の正体
なかでも重要だったのが乳香です。乳香は植物から採れる樹脂で、正教会の奉神礼にも用いられました。そのため、キリスト教の広がりとともに需要が増し、アフリカの角の交易を支える重要な商品となったのです。
紅海を制したアクスム王国は、なぜ滅びたのか
アクスム王国は紅海とインド洋(アラビア海)をつなぐ中継点に位置したことから、海上貿易で大いに繁栄します。アクスム王国は対岸のヒムヤル王国(アラビア半島南西・現イエメン西部)にも度々遠征軍を派遣し、紅海の出口の両岸を押さえたことで、交易国家としての地位を確かなものとしたのです。下図を見てください。
出典:地図で学ぶ「深読み」世界史
アクスム王国は乳香の取引をはじめ、海上交易を中心にエジプトを領土としたローマ帝国および東ローマ帝国との関係を深め、エザナ王(位320年代~360頃)の治世にキリスト教を受容し、これはエチオピア正教会に発展します。現在でもエチオピア国民の多数派(約6割以上)が、キリスト教徒なかでもエチオピア正教徒となっています。
アクスム王国の繁栄は、従属民であったベジャ系遊牧民の移住によって翳りを見せ、ベジャ人たちは現在のエリトリアからエチオピア北部にかけて、9世紀までに6つの王国を形成します。これにより、アクスムは紅海への影響力を後退させ、国力の衰退を招いたのです。アクスムは960年頃に、国家としての命脈に終止符を打ちます。
(本原稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』を一部抜粋・編集したものです)









