「構想力・イノベーション講座」(運営Aoba-BBT)の人気講師で、シンガポールを拠点に活躍する戦略コンサルタント坂田幸樹氏の最新刊『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』(ダイヤモンド社)は、新規事業の立案や自社の課題解決に役立つ戦略の立て方をわかりやすく解説する入門書。戦略とは何か。変化の時代に、企業は何を問い直すべきなのか。本連載では、さまざまな経営や組織の悩みについて坂田氏に話を聞きながら、同書の考え方を現在進行形の課題へと結びつけていく

世界最高の技術を、世界で勝てる事業へ――インド新幹線に学ぶ「戦略のデザイン」Photo: Adobe Stock

「どちらが悪いか」は、本質的な問いではない

約束を守らない。約束しても、すぐにひっくり返す

 インドのムンバイとアーメダバードを結ぶ高速鉄道プロジェクトについて、自らも計画に関与したとする日本の元法相がSNSに投稿した言葉だ。元法相は、プロジェクトが計画通り進んでいない責任はインド側にあり、日本が安全の要となる信号システムから外されたとも主張した。

 これに対し、インド外務省は「事実と大きく異なる個人的見解だ」と反論し、日印間の協議は継続しており、日本の次世代車両E10系の導入に向けた協力も続いていると説明している。

 現時点では、両者の発言をそれぞれの主張として受け止めるのが妥当だろう。公開情報だけでは、交渉の責任をどちらか一方に帰することはできない。一人の政治家の発言をインドという国全体の性質に一般化すべきではないし、日本側の戦略が一方的に誤っていたと結論づけることもできない。

 では、日本企業はこの出来事から何を学ぶべきなのか。

 考えるべきなのは、「日本とインドのどちらが悪いか」ではない。世界に誇る技術を持ちながら、なぜそれだけでは「世界で勝てる事業」にならないのか、という問いである。

インド新幹線は「失敗」したのか

 ムンバイ―アーメダバード高速鉄道は、インド初の本格的な高速鉄道として建設が進む全長約508キロメートルの国家プロジェクトである。日本は、新幹線技術の提供に加え、円借款、人材育成、施工・運行面での技術協力を通じて関与してきた。

 現在も高架橋や駅、トンネル、軌道、架線などの整備は続いている。したがって、「日本の新幹線輸出は失敗した」「日本がプロジェクトから排除された」と断定するのは正確ではない。

 2026年7月の日印首脳共同声明でも、両国はこの高速鉄道を日印の旗艦プロジェクトと位置づけている。日本は、インドが掲げる2027年の優先区間開業目標への理解を示し、必要な協力を続けると表明した。あわせて、E10系の導入についても改めて確認している。

 一方で、インドは先行区間について、E10系の完成を待たず、自国製車両と欧州規格のETCS Level 2信号システムを採用し、早期開業を目指す方針だと報じられている。

 もっとも、これは日本方式が全面的に採用されなくなったことを意味するわけではない。2025年の日印共同声明では、2030年代初頭のE10系導入に合わせ、日本方式を含む信号設備の導入を進める方針も示されている。公開情報を踏まえれば、先行区間では別方式による開業を目指し、その後、日本製車両や日本方式を段階的に導入していく構図とみるのが妥当だ。

 つまり、プロジェクトが消滅したのではない。実施の順序や技術の組み合わせが、当初の想定から変化しているのである。

当初から存在した「二つの目的」

 この変化を理解する上で重要なのが、2015年に日印両政府が締結した高速鉄道協力覚書である。そこには、ムンバイ―アーメダバード高速鉄道を、日本の新幹線システムとその運用経験を活用して整備することが明記されている。

 しかし、覚書が掲げていたのは、日本の完成したシステムを持ち込むことだけではなかった。運行・保守・経営を担う人材育成、建設・製造技術の移転、さらには車両や設備を含む高速鉄道システムの段階的な「Make in India」も、当初から重要な目的として盛り込まれていた。

 つまり、このプロジェクトには最初から二つの目的が共存していた。一つは、日本が培ってきた新幹線システムの安全性と統合性を生かすこと。もう一つは、インド自身が高速鉄道を建設・運営・製造できる能力を育てることである。

 したがって、「日本は完成品を売ろうとしたが、インドが途中から突然国産化へ転じた」と理解するのは正確ではない。現地化と技術移転は、少なくとも政府間の合意では当初から織り込まれていたのだ。

 本当の難題は、その二つの目的をどう両立させるかだった。

 何を日本方式として維持するのか。何を現地化するのか。どの順番で移行するのか。安全性を損なわず、開業時期や産業育成の要請とどう両立させるのか。これは単なる技術選択ではない。事業そのものをどう設計するかという問いだったのである。

「優れた技術」と「優れた事業」は違う

 新幹線は、車両だけで成り立つ製品ではない。軌道、電力、信号、通信、運行、保守、教育、安全管理までが密接に結びついた統合システムである。その完成度は、長年にわたって積み上げられた全体最適の上に成り立っている。

 しかし、海外の大型インフラ案件では、技術性能だけで採否は決まらない。安全性はもちろん、開業時期、資金負担、国内雇用、現地企業の参画、技術移転、将来の産業育成など、多様な要素が政府の意思決定を左右する。

 さらに、鉄道事業者だけでなく、中央政府、地方政府、国有企業、メーカー、金融機関、地域社会など、それぞれ異なる目的を持つステークホルダーが存在する。

 こうした環境では、最も優れた技術が、そのまま最も優れた事業になるとは限らない。多様な関係者の目的や利害を踏まえ、全体として成立する構造を設計できて初めて、優れた技術は「世界で勝てる事業」になるのである。

 インド新幹線だけを見て、日本企業全体に戦略がないと結論づけるべきではない。しかし、このプロジェクトは、日本企業が海外で技術を事業へと発展させる際に直面する、本質的な問いを私たちに投げかけている。

「何を売るか」ではなく「何を実現するか」

 日本企業が海外展開を考えるとき、出発点になりやすいのは自社の技術や製品である。どの商品を売るか。どの仕様を採用してもらうか。日本で成功したモデルを、どう現地へ展開するか。

 自社の強みから考えること自体は間違いではない。しかし、そこだけを起点にすると、相手が本当に実現したいこととの間にずれが生まれる。

 高速鉄道であれば、求められているのは移動時間の短縮だけなのだろうか。都市間の経済圏形成、国内企業の育成、雇用創出、技術獲得、さらには将来の高速鉄道網の整備まで見据えているのではないか。

 こうした目的を踏まえて初めて、「新幹線をどう売るか」ではなく、「インドがこのプロジェクトを通じて実現したいことに、日本の技術はどのような価値を発揮できるのか」という問いへ変わる。

 自社を起点に考えるのではなく、相手が実現したい未来を起点に考える。その視点の転換が、製品戦略を事業戦略へと変えていく。

 もちろん、共創とは相手の要望を無条件に受け入れることではない。安全上譲れない条件、契約変更時の手続き、費用とリスクの分担、知的財産の扱いなど、長期的な協力関係を支えるルールは明確でなければならない。相手に合わせることと、自社の強みを手放すことは、まったく別の話である。

インド新幹線から考える「戦略のデザイン」の三つの問い

「戦略のデザイン」とは、分析によって一つの正解を導き出すことではない。多様な関係者の目的を踏まえながら、新たな価値を生み出す構造を設計する営みである。

 では、その事業をどう設計すればよいのか。インド新幹線のようなプロジェクトでは、以下の三つの問いが重要になる。

1.何をもって「成功」とするのか

 成功とは、受注できたかどうかだけではない。安全性、開業時期、現地人材育成、ライフサイクルコスト、将来の収益機会など、関係者によって重視するものは異なる。だからこそ、何をもって成功とするのかを初期段階で明確にし、関係者の間で共有しておく必要がある。

2.何を守り、何を共につくるのか

 安全性や信頼性を支える、日本の技術的な強みの核は守る必要がある。一方で、設備、部品、施工、人材育成など、現地企業と共につくれる領域もある。重要なのは、「すべて守る」か「すべて渡す」かの二択ではない。日本が守るべき領域と、現地側と共につくる領域を見極め、システム全体の統合性を損なわないよう、技術と責任の境界を具体的に設計することである。

3.時間とともに役割をどう変えるのか

 プロジェクト初期には、設計、安全基準、人材育成など、日本側が強みを発揮できる領域が大きい。しかし、建設、運行、保守へとフェーズが進むにつれて、日本が提供できる価値も変化する。さらに、共同で培った技術や育成した人材を、次の路線や第三国展開に生かすことも考えられる。重要なのは、最初に何を受注したかではない。現地側に技術や経験が蓄積されるのに合わせ、自らの役割も進化させ続けることである。

「輸出」から「共創」へ

 2026年の日印共同声明は、高速鉄道を巡る協力について、新たな方向性を示している。

 そこに見えるのは、日本の完成品を輸出するだけではない、新たな協力の形である。日本の技術と、インドの人材、製造能力、市場を組み合わせ、新しい価値を共につくる。共同声明は、両国の協力がこうした方向へ発展していく可能性を示している。

 現地化が進めば、日本から輸出される製品や部品は減るかもしれない。しかし一方で、安全設計、認証、人材育成、運行・保守の支援、データ活用、次世代技術など、日本が担える役割はむしろ広がる可能性がある。
重要なのは、日本製の部品をどれだけ使うかではない。現地化が進んだ後も、日本が事業全体に不可欠な価値を提供し続けられるかどうかである。

世界最高の技術を、世界で勝てる事業へ

 インド新幹線を「成功」と評価するにも、「失敗」と評価するにも、まだ早い。先行区間の開業、日本方式の導入、E10系の採用、日印企業の役割分担など、多くはこれから形になっていく。だから、この案件を「インド側が約束を破った物語」にするのも、「日本の戦略が失敗した物語」にするのも適切ではない。私たちが学ぶべきなのは、もっと普遍的なことである。

 日本企業には、世界に誇る技術がある。これから求められるのは、その技術を現地の政策、産業、人材、市場と結び付け、持続的に価値を生み出す事業へと発展させる力である。

 完成された仕組みを、そのまま海外へ持ち出すのではない。守るべき強みを明確にしながら、現地の関係者とともに、その市場に合った事業を設計していく。技術を磨く力だけでなく、事業を構想し、多様な関係者を結び、環境の変化に応じて事業を進化させる力が求められる。

 それこそが、世界最高の技術を、世界で勝てる事業へ変える「戦略のデザイン」なのである。

坂田幸樹(さかた・こうき)
IGPIグループ共同経営者、IGPIシンガポール取締役CEO、JBIC IG Partners取締役。早稲田大学政治経済学部卒、IEビジネススクール経営学修士(MBA)。ITストラテジスト。
大学卒業後、キャップジェミニ・アーンスト・アンド・ヤング(現フォーティエンスコンサルティング)に入社。日本コカ・コーラを経て、創業期のリヴァンプ入社。アパレル企業、ファストフードチェーン、システム会社などへのハンズオン支援(事業計画立案・実行、M&A、資金調達など)に従事。
その後、支援先のシステム会社にリヴァンプから転籍して代表取締役に就任。
退任後、経営共創基盤(IGPI)に入社。2013年にIGPIシンガポールを立ち上げるためシンガポールに拠点を移す。現在は3拠点、8国籍のチームで日本企業や現地企業、政府機関向けのプロジェクトに従事。
単著に『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』『超速で成果を出す アジャイル仕事術』、共著に『構想力が劇的に高まる アーキテクト思考』(共にダイヤモンド社)がある。