「構想力・イノベーション講座」(運営Aoba-BBT)の人気講師で、シンガポールを拠点に活躍する戦略コンサルタント坂田幸樹氏の最新刊『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』(ダイヤモンド社)は、新規事業の立案や自社の課題解決に役立つ戦略の立て方をわかりやすく解説する入門書。戦略とは何か。変化の時代に、企業は何を問い直すべきなのか。本連載では、さまざまな経営や組織の悩みについて坂田氏に話を聞きながら、同書の考え方を現在進行形の課題へと結びつけていく

「要件定義書」を書く時代は終わった。FDEで成果が出る会社、出ない会社の決定的な違いPhoto: Adobe Stock

FDE(フォワード・デプロイド・エンジニア)とは

 近年、FDE(フォワード・デプロイド・エンジニア)という職種が注目を集めている。

 顧客企業の現場に入り込み、要件定義を待たずに、その場でシステムを組み上げていくスタイルは、AI時代の新しい働き方として脚光を浴びている。

 だが、経営コンサルタントとしてIGPIシンガポールを率いる坂田幸樹氏は、「FDEには、日本企業が過去に何度も繰り返してきた失敗と同じ危険性が潜んでいる」と警鐘を鳴らす。

現場の声を聞くだけでは、変革は起きない

――FDEには、日本企業がこれまで経験してきた失敗と同じ危険性がある、とおっしゃいました。具体的にはどういうことでしょうか?

 FDEはAI時代の新しい働き方として注目されています。しかし、「現場の要望をできるだけ反映しよう」という発想そのものは、決して新しいものではありません。

 日本企業はこれまで、同じ考え方で何度もシステム開発に取り組んできました。例えば、SAPをはじめとする基幹システムの導入です。現場の業務担当者に丁寧にヒアリングを重ね、一つひとつの要望に応えていく・

 アジャイル開発でも同じでした。短いスプリントを繰り返しながら、その都度現場の声を取り込んでいく。どちらも、一見すると顧客満足度が高く、とても真面目で正しい進め方に見えます。

 しかし、結果はどうだったでしょうか。

 SAP導入では、現場ごとの個別要件に応えるためにアドオンが積み上がり、標準機能から大きく外れた「ガラパゴス化」したシステムが出来上がる。アジャイル開発でも、スプリントを重ねるたびに追加要望が次々と取り込まれ、気づけば当初のスコープを大きく超えた、複雑で保守しづらいシステムになってしまう。

 どちらも現場の業務は改善されます。しかし、組織全体を変えるような変革にはつながりませんでした。

 これは、現場の要望には応えていても、「会社として何を実現したいのか」という全体最適の視点が最初から欠けていたからです。その結果、似たような機能を持つシステムが各部署で乱立し、開発・保守コストだけが積み上がっていく。多くの日本企業が経験してきたのは、この構造です。

 そして、FDEも本質的には同じリスクを抱えています。優秀な人材を現場へ送り込み、その場で素早くシステムを組み上げられるようになったとしても、経営として「何を実現したいのか」が定まっていなければ、現場の要望に応え続ける「御用聞き開発」が、より速いスピードで進むだけになってしまうのです。

――実際に、そうした失敗を目にされたことはありますか?

 はい、あります。あるプロジェクトで、FDEに近いスタイルを採用しました。エンジニアが現場担当者の隣に入り、その場で設計し、その場で改善していく進め方です。現場の意見を聞き、「どうすれば業務負荷を減らせるか」という視点で、次々と機能を作り込んでいきました。現場の満足度は高く、プロジェクトも順調に進んでいるように見えました。

 ところが、既存業務の上に新しい業務が積み重なるばかりで、開発工数は増え、トータルコストも一向に下がらない。期待していたような変革は起こりませんでした。

 方針がないまま現場へ寄り添うと、現場は善意で「あれがあれば便利だ」「これも必要だ」と細かく要望を出し続けます。そして、優秀なFDEほど、その期待に応えようとする。つまり、能力が高いこと自体が、かえって機能を増やし続ける方向へ働いてしまうのです。

 こうした現象が起きやすい背景には、日本企業ならではの組織特性もあります。「すり合わせ」を強みとする日本企業は、現場同士が調整しながら品質を高めることは得意です。

 その一方で、一度動き出した業務や機能を止めること、つまり「何をやめるか」を決めることは苦手です。

 だからこそ、トップが「これはやらない」「これは捨てる」と明確に決めなければ、機能も業務も際限なく積み上がっていく。FDEが成功するかどうかを決めるのは、現場ではありません。最初に方向性を定める経営なのです。

FDEを生かすのは、「現場」ではなく「経営」の仕事

――トップが「何を目指し、何を捨てるか」を判断できていれば、FDEはどう変わるのでしょうか?

 全社として目指す方向が明確になり、資源配分の方針が定まっていれば、FDEは現場で「何を残し、何をやめるか」を迷わず判断できるようになります。

 やらないと決めたものには工数を割かず、残すと決めたものについては方針に沿って業務をどう変え、システムをどう組み立てるべきかが見えてきます。

 逆に、この前提がないまま現場へ送り込まれると、FDEは現場の要望に応え続けるしかありません。

 同じスキルを持つFDEを送り込んでも現場によって成果がまったく変わってしまうのは、この違いです。

――この「何を捨てるか」という判断は、『戦略のデザイン』の観点からすると、どのように位置づけられるのでしょうか?

 拙著『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』で提示しているPVS、つまりPerspective・Value・Systemというフレームワークでいえば、「何を捨てるか」を決めるのはPerspective、つまり「どの方向を目指すのか」という視点を設計する作業です。

 Perspectiveが定まるということは、「何をやるか」が決まるだけではありません。同時に、「何をやらないか」が決まるということでもあります。すると、それまで当たり前だと思っていた業務や機能の中にも、「実は不要だったもの」が見えてきます。

 私はこれを「規律」と言い換えることがあります。目の前の要望をそのまま受け入れるのではなく、「自社が目指す方向に照らして、本当に必要なのか」を判断するための規律です。

 FDEという優秀な実行部隊を現場へ送り込む前に、経営がこの規律をどこまで言語化し、現場に浸透させられているか。そこが、成果を大きく左右する分岐点になります。

優秀なFDEを現場へ送り込む前に、経営が決めるべきこと

――では、その規律を言語化するためには、何から始めればよいのでしょうか?

 まず問うべきなのは、「3年後、5年後、自社はどの市場で、どのように勝つのか」という問いです。この問いに答えられれば、そのために必要な業務と、そうでない業務が自然と見えてきます。

 ところが、多くの企業では、この問いが経営会議で議論されたとしても、現場が判断できるレベルまで言語化されていません。そのため現場では、「何をやめるべきか」という発想よりも、「あれも必要」「これも必要」と要望を積み上げる方向へ動いてしまうのです。

 私が企業をご支援するときも、最初に取り組むのはシステムや人員配置ではありません。経営陣と一緒に、「自社の勝ち筋」を言語化することです。

 ここが定まっていない状態でFDEのような優秀な実行部隊を送り込むのは、地図を渡さずに優秀な登山家を山へ送り出すようなものです。技術や体力があっても、どのルートで頂上を目指すべきなのかが定まっていなければ、その力は成果につながりません。

――最後に、経営者やリーダーへメッセージをお願いします。

 現場が強いこと、現場が主体的に考えること、すり合わせによって品質を高めること。これらは日本企業の大きな強みであり、その価値を否定するつもりはまったくありません。

 しかし、その強みが本当に力を発揮するためには、一つだけ前提があります。

 経営が、現場を変えようとする前に、「何を目指すのか」「そのために何をやらないのか」を明確にしていることです。方針という土台がないまま優秀な人材を現場へ送り込めば、FDEであれ従来型のシステム開発であれ、「現場最適」の繰り返しになってしまいます。

 FDEという新しい職種は、一見するとエンジニアリングやAI活用の話に見えるかもしれません。

 しかし本質は、経営がどこまで意思決定の規律を持てるかという、極めて古典的な経営課題です。だからこそ、現場へ優秀な人材を送り込む前に、まず経営自身が「何を目指し、何を捨てるのか」を決める。

 私は、それこそがFDEを成功させるための第一歩だと考えています。

――ありがとうございました。

坂田幸樹(さかた・こうき)
IGPIグループ共同経営者、IGPIシンガポール取締役CEO、JBIC IG Partners取締役。早稲田大学政治経済学部卒、IEビジネススクール経営学修士(MBA)。ITストラテジスト。
大学卒業後、キャップジェミニ・アーンスト・アンド・ヤング(現フォーティエンスコンサルティング)に入社。日本コカ・コーラを経て、創業期のリヴァンプ入社。アパレル企業、ファストフードチェーン、システム会社などへのハンズオン支援(事業計画立案・実行、M&A、資金調達など)に従事。
その後、支援先のシステム会社にリヴァンプから転籍して代表取締役に就任。
退任後、経営共創基盤(IGPI)に入社。2013年にIGPIシンガポールを立ち上げるためシンガポールに拠点を移す。現在は3拠点、8国籍のチームで日本企業や現地企業、政府機関向けのプロジェクトに従事。
単著に『戦略のデザイン ゼロから「勝ち筋」を導き出す10の問い』『超速で成果を出す アジャイル仕事術』、共著に『構想力が劇的に高まる アーキテクト思考』(共にダイヤモンド社)がある。