巨額の予算をつけるだけで
「状況が改善した」と錯覚する
外国の脅威が高まると、自国政府が決めた軍事費の増大への抵抗感がなくなる。むしろ、軍備を増強することで「国の安全が高まった」かのような安心感を得る。尾崎行雄が指摘したこれらの心理は、自然な感情であるかのように思える一方で、人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬という面もあることに注意が必要です。
人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬とは、何らかの不安を感じた時に、目に見える「成果らしきもの」があれば「状況が改善したかのような心境」になるというものです。
例えば、出生率の低下という「少子化」対策の事業に、政府が数百億円の予算を配分したとします。本来なら、数年後にデータを検証して出生率が改善されていれば、その予算配分と政策は「成功した」ことになります。けれども実際には、政府が数百億円の予算を「配分した時点」でメディアが大きく取り上げて宣伝することで、実際の成果がまだ確認されていなくても「状況が改善されたかのようなムード」が創り出されます。
その数百億円の予算の使い道が、誰も手に取らない啓発チラシや、誰も観ていないネット動画の製作費なら、少子化対策という目的への貢献度は無いも同然でしょう。これが、人間の思考が陥りやすい錯覚や誤謬の実例です。
軍備の場合も同様で、毎年巨額の予算が軍事費に投入されれば、実際の効果が検証されなくても、その「巨額の予算配分」という事実が「状況改善の錯覚」を生じさせます。
1936年から1937年にかけて帝国議会で審議され、採決された「軍事費偏重予算」は、日本を戦争から遠ざける効果を持たず、むしろ陸軍や海軍の上層部による自国の軍事力への過信というマイナス面を生み出しました。
軍事費を増やして新型兵器を大量に装備すれば、自動的に国の安全が高まる、という単純な話ではないのです。予算であれ何であれ、間違った方策にリソース(資源)を投入すれば、状況の改善に繋がらないどころか、何もしない方がましという場合もあります。
経済力に見合わない軍備は
国を守るどころカ国を弱らせる
では、軍事費のバランスが健全かどうかは、どんな基準で判断すべきでしょうか?
『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(山崎雅弘、朝日新聞出版)
尾崎は、前記した『軍備制限』の第6章を「過大な軍備は亡国の本源」と題した上で、軍備と経済力の関係について、次のように書いています。
「軍備の多寡大小は、その国の環境と経済力によって決定すべきものである。(略)経済力以上の軍備は、戦わずしてその国の寿命を短縮し、そのはなはだしきに至っては、これを滅亡させることもある。ゆえに一国の軍備は、いかなる場合においても、原則としては、その経済力に適応しなければならぬ。経済力以上の軍備は、国防の用をなさず、かえって亡国の原因となる」
この本が刊行されてから10年も経たずに、日本は尾崎が危惧した道を進み、経済力以上の軍備を持ったことで自信過剰に陥り、「力」を過信して亡国の末路をたどりました。
我々は、その轍を踏まずに未来へと進むことができるでしょうか。







