世界史の教科書では、女性参政権も古代ローマも、それぞれ別の項目として説明される。だが、「なぜ女性には長いあいだ参政権がなかったのか」という問いをたどると、古代ギリシア・ローマの「市民皆兵」という考え方に行き着く。共同体のために戦う者こそ政治に参加できる――この発想は、中世都市の権利闘争や第一次世界大戦後の女性参政権、さらにはイギリス連邦の成立にもつながっている。教科書では見えにくい西洋史の一本の線を読み解く。
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「戦う者だけが政治に参加できる」という古代のルール
世界史の教科書では、紙幅の都合もあって、どうしてもさらっと流されてしまうテーマや地域がある。しかし、そのなかには、実は歴史全体の見え方を大きく変える重要な論点が含まれている。
では、教科書では簡単に扱われがちだが、本当はもっと丁寧に見ておくべきテーマとは何か。それはヨーロッパ古代史だ。なかでも重要なのが、古代ギリシアやローマに見られる「市民皆兵制」の考え方である。
市民皆兵制とは、簡単にいえば、市民権や参政権と軍役が結びついている仕組みのことだ。政治に参加する権利を持つ者は、同時に戦争にも参加する義務を負う。逆にいえば、戦争に参加し、共同体を守る者だからこそ、政治に参加する資格があると考えられた。
この発想は、古代だけの話ではない。ヨーロッパの政治的、社会的な伝統のなかに、長く残っていくことになる。だからこそ、ここを押さえておくと、西洋史全体の解像度が大きく上がる。もともと、戦争に参加するには、武器や鎧を自分で用意する必要があった。つまり、十分なお金を持っていなければ、戦士になることはできなかった。したがって初期の段階では、武器をそろえることのできる貴族や富裕層が軍事を担い、同時に政治の中心にもなっていた。
武器を持った平民が「政治参加」を求め始めた
ところが、やがて平民たちも経済的に豊かになり、自分たちも武器を持って戦えるようになる。すると彼らは、「自分たちも共同体のために戦っているのだから、政治に参加する権利があってもいいではないか」と主張するようになる。
しかし、すでに政治的な権利を握っている貴族層にとって、それは既得権益を脅かす要求である。簡単に受け入れるわけにはいかない。こうして、軍事的な貢献と政治的な権利をめぐって、貴族と平民のあいだに対立が生まれていく。この構図は、古代だけにとどまらない。中世ヨーロッパの都市でも、よく似たことが起きる。
当初、都市の防衛や運営の中心にいたのは商人たちだった。彼らは都市を支え、国防の一端も担っていたため、政治的な発言力を持つようになる。ところが、やがて職人たちも商売を繁盛させ、富を蓄えるようになる。彼らもまた都市を支える存在になっていくと、「自分たちにも政治参加の権利があるはずだ」と要求するようになる。
ここでも、経済力を持ち、共同体に貢献するようになった人々が、政治的権利を求める。そして、すでに権利を持っている層とのあいだに闘争が生じる。古代ギリシア・ローマで見られた構図が、中世都市にも形を変えて現れているのである。
なぜ女性には長いあいだ参政権がなかったのか
この「軍事的貢献と政治的権利の結びつき」という視点は、近代以降の歴史を考えるうえでも重要になる。とりわけ深く関わってくるのが、女性参政権の問題である。
なぜ、長いあいだ女性には参政権が認められなかったのか。その背景には、「女性は戦争に行かない」「戦場に立たない」という固定観念があった。政治に参加する権利は、共同体のために戦う者に与えられるべきだという考え方があるとすれば、戦場に出ないと見なされた女性は、政治参加から排除されやすかったのである。
第一次世界大戦が女性と自治領の立場を変えた
だからこそ、第一次世界大戦は大きな転機となった。第一次世界大戦は、兵士だけが戦う戦争ではなく、国家全体が動員される総力戦だった。男性が戦場に向かう一方で、女性たちは工場や医療、後方支援など、さまざまな形で戦争を支えた。戦場に直接立たなくても、国家のために大きく貢献したのである。
その結果、欧米諸国では第一次世界大戦後、女性参政権が認められていく。女性たちが国家に貢献したことが、政治的権利を求める根拠となったからだ。ここにも、古代から続く「共同体への貢献」と「政治参加」の結びつきが見えてくる。同じ視点は、イギリス帝国と自治領の関係にも当てはまる。第一次世界大戦では、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカといったドミニオンと呼ばれる自治領、さらには植民地全体が、イギリスの戦争に大きく貢献した。
その貢献が認められた結果、1931年にはウェストミンスター憲章によって、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどに実質的な主権が与えられ、独立国としての地位が認められていく。
ただし、イギリスの面白いところは、これらの国々を単に切り離して独立させたわけではない点にある。当時、カナダにも、オーストラリアにも、ニュージーランドにも、南アフリカにも王がいた。そしてその王とは、イギリス国王だった。つまり、イギリス国王が、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの国王も兼ねる。同じ国王をいただく国々が、ゆるやかな連合体を形成することになる。これが、今日のイギリス連邦、すなわちコモンウェルスの起源である。
こうして見ると、教科書では個別に説明されがちな古代ギリシア・ローマの市民権、中世都市の政治闘争、女性参政権、第一次世界大戦、イギリス連邦の成立といった出来事が、一本の線でつながってくる。その線とは、「誰が共同体に貢献しているのか」、そして「その貢献に対して、どのような政治的権利が認められるのか」という問いである。
世界史の教科書では、こうしたテーマはどうしても短く説明されがちだ。しかし、古代ヨーロッパにおける市民権と軍役の関係を出発点にして見直すと、西洋史の多くの出来事が、単なる暗記項目ではなく、連続した歴史の展開として見えてくる。教科書でさらっと流される部分にこそ、歴史を深く理解するための入口がある。ヨーロッパ古代史の市民皆兵制は、その代表的なテーマの一つだといえる。
(本稿は『地図で学ぶ「深読み」世界史』著者へのインタビュー記事です)









