その際、人々の反発の声の中心にあったのは、飲食店だけが「特別扱い」されることの不公平さという点だった。「自分だってつらいのに、なぜあいつらばかりが助けられるのか」という具合だ。
「自分だってつらい」
弱者同士の競争が始まった
当時、コロナ禍という巨大なリスクに直面するなかで人々は自らのもろさを思い知らされ、その弱者性を突き付けられていたのだろう。そうしたなかで飲食店は、いわばそれをシンボリックに体現している存在として、まず人々の同情を呼ぶことになった。
しかしそうした存在が支援の対象として社会的に公認され、制度的に救済されてしまうと、今度は人々の中で自らの「救われなさ」が浮き立って見えてくる。自らが救おうとしていた存在が救われてしまったことで、逆に自らが救われないことを見せつけられた人々は、飲食店を目の敵にし、そこに憤懣をぶつけるようになる。
その際、人々は飲食店を叩きながら、一方で自らがいかにつらいかを訴え合った。「自分だってつらい」という訴えは「自分のほうがつらい」という訴えとなり、さらに「自分のほうがもっと」という訴えとなる。このようにそこでは「弱者叩き」の背後で、自らの「弱さ」を競い合うという「弱者争い」が繰り広げられていた。
ただしそれらの弱者性は必ずしも明白なものではない。飲食店というような特定の属性に帰せられるものではなく、それぞれの事情に即した多様なものであり、さらに必ずしも顕在的なものでもない。多くの場合、むしろ潜在的なものであり、コロナ禍という未知のリスクに伴う不分明なもの、どこまで行っても曖昧なものだった。
そのため「弱者争い」はどこかもどかしいものとなり、そのもどかしさが誹謗の対象にぶつけられる。その結果、「弱者叩き」が加速されることになる。
こうして「弱者争い」と「弱者叩き」の間を行き来しながら激しく燃え上がっていったのがこのときの炎上騒ぎ、「飲食店叩き」だった。
そこでは「明白な弱者」としての飲食店に「曖昧な弱者」としての人々が敵意を抱き、それが炎上の動力となっていたと言えるだろう。







